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[丹羽政善コラム第29回] ポール・ピアース ――稀代のクラッチプレーヤー

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アトランタ・ホークスとのプレーオフ第3戦。最後にブザービーターを決めたのがワシントン・ウィザーズのポール・ピアースだった。もう、かつてのような選手ではないかもしれない。フル出場して、1人で相手をねじ伏せるようなこともない。ウィザーズでは、ジョン・ウォール、ブラッドリー・ビールに次ぐ3番手の選手。とはいえ、勝負強さは相変わらず。第5戦では、第4クォーター残り19秒で致命的なターンオーバーを犯したかと思えば、残り8秒で逆転の3ポイント。その後、惜しくも再逆転を許したが、存在感が際立った。

***

もう何年も前のことになる。雑誌『ダンクシュート』の企画で、当時シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)のレイ・アレンに、「ベストSG(シューティングガード)」を何人か選んでもらったことがある。そのとき、アレンが真っ先に挙げたのが、ポール・ピアースだった。

「ピアースは、シューティングガードかスモールフォワードか?」というやり取りがあった後、シューティングガードでいいと応じると、「なら、まずはピアースだな」となった。やや意外な感じがしたが、そのことを素早く読み取ったアレンは、こう続けたと記憶する。

「対戦してみないと、ヤツの凄さは分からない」。

決して派手な選手ではない。豪快なダンクを決めるわけでもなく、スピードで相手を振り切るタイプでもない。ただ、試合が終わってみると、ピアースにやられた、というような印象が残る。

直近では、トロント・ラプターズとのプレーオフ第1戦がそうだった。チームトップの20点をマークしたが、そのうちの5点はオーバータイムであげ、ラプターズを振り切っている。トロントでは彼に対するブーイングが凄かったが、実は昨年のプレーオフでもラプターズはピアースに試合を決められている。

当時、ピアースはネッツにいたが、第7戦の残り1秒――ラプターズのカイル・ロウリーが逆転のシュートを放ったとき、それをブロックしたのがピアースだった。

別格の輝きを放ったのは、2008年のNBAファイナル、ボストン・セルティックス対ロサンゼルス・レイカーズ第1戦。第3Qの残り6分49秒、右ひざを痛めたセルティックスのピアースは、一旦、チームメイトに担がれてロッカーへ消えた。このとき、その試合で戻れるとは誰も予想せず、ファイナルが終るまでに復帰できるかどうかも疑わしかった。しかしながら、わずか2分ほどでロッカーから戻ってくると、コートにも立っている。ピアースが姿を見せると、ボストン・ガーデンのファンは試合とは関係なく盛り上がり、その声援に押されてか、チームも勢いづくと、その後、レイカーズを振り切った。

ところであのとき、さすがピアースはタフだ、ケガに強い、と言われたが、以前に凄まじい経験をしている。

2000年9月25日、ピアースはナイトクラブにいて、けんかに遭遇。仲裁に入ったところ、顔、首、背中を計11か所も刺された。居合わせたチームメイトのトニー・バティが、救急車を待たず、自分の車に乗せて近くの病院に運ぶと、ピアースは一命を取り留めている。そのときたまたま皮のジャケットを着ていたおかげで致命傷にいたらなかったとのこと。わずかなことで命拾いをした。

彼が、タフネスぶりを発揮したのはそのとき。生死に関わる大けがを負いながら、わずか3日後には退院し、開幕に間に合うどころか、その年、チームでは唯一、全82試合にスタメン出場したのだった。

さて、そんなピアースを支えているものはなにか。彼の選手としての基礎はどう築かれたのか。過去を辿ると、高校時代の厳しい練習にたどり着く。日本でいう中学のとき、オークランドからロサンゼルスに引っ越したピアースは、地元のイングルウッド高校に進むが、そこでは朝暗いうちに起きて、家を出た。

ピアースは、2010年のファイナルに出場したとき、こう話している。

「朝5時半に起きてジムに通ったんだ。今はもう、そんなことできないけどね」。

朝練に加え、授業が終ってからの練習もある。いずれも厳しいものだったようだが、ピアースはそこを耐え抜いた。

どうしてそこまで自分を追い込めたのか。そう聞かれると、彼はこう振り返っている。

「あのときは、夢があって、上手くなりたい! と考えていたからできたんだ」。

その努力は、やがて報われる。高校入学当初は控え選手で、ピアースは当時、「自分は、ダメだと泣いていた」そうだが、高校最後の年に入ると頭角を現し、カンザス大から奨学金のオファーを得て、その後、NBA入りを成し遂げた。

彼の夢とは、いうまでもなく「NBA」である。彼は、多くのNBA選手がそうであるように、高校時代からエリート街道を歩き、その道を保証されていたわけではなかった。夢を目指し、あのマイケル・ジョーダンのように控えから這い上がった。そこでは、精神的な強さもまた培われたのかもしれない。

ところで、ピアースをさらに知るには、彼の言葉をたどる必要もある。彼は歯に衣着せぬ発言で知られ、正直過ぎるが故、時にそれが物議をかもすこともあるが、考えていることを自分の言葉で説明ができる。

そのいくつかを紹介しよう。

 

"At the beginning of the season, I set my goal to see if I can lead the league in scoring, because I feel I have that kind of ability. A lot of guys say it, but it's not really in their grasp. I feel that's really in my grasp."

「シーズンの始め、俺は、得点王になろうと目標を定めるんだ。なぜか? 俺にはその能力があると思うからだよ。多くの奴がそう言うけれど、そんな奴らには(得点王は)手の届く範囲にはないと思う。だけど、俺の手の届く範囲にそれはある」。

"In college, I probably lost a total of about 11 games, and then I came to the Celtics and in my first three weeks we went on a nine-game losing streak."

「大学のとき、たぶん俺たちは、11回ぐらいしか負けてないと思う。でも、セルティックスに来たら、最初の3週間で、9連敗だよ」。

"Once people start making comparisons to a player of the past, they want you to be that player. I try to go out there and create my own image, my own style, my own type of game. Right now I can't even think of one guy I've been compared to."

「みんなが、その選手と過去の選手と比べ始めたら、その選手は、その過去の選手になりたいと思う。でも俺は、自分のイメージ、自分のスタイル、自分のゲームを作りたいと思う。今、過去の誰と似ているかなんて、考えることもできない」。

"I worked at a hospital for a week. And at a golf course when I was in college at Kansas for about a week. The tips weren't good so I quit."

「病院で1週間働いた。カンザス大のときは、ゴルフコースで1週間働いた。でも、チップが良くなかったから、辞めた」。

"The rim is looking bigger and bigger every game."

「リムが、試合ごとに大きく見える気がする」。

"A lot of players know I've been around 13 years and this is my second lockout. I got a lot of respect. I know what's going on both for the league and the union."

「みんな、俺が13年間リーグにいることを知っている。で、これが俺にとっては2度目のロックアウトだ。みんな俺のことをリスペクトしてくれているよ。リーグと選手会で何が起きているか分かっているから」。

"You've got to learn from experience, the battles you go through. Some guys continue to grow. Hopefully, that's what I'll continue do."

「人は、くぐり抜けた試練、その経験から学ばなければいけない。ある人は、そこから成長を続ける。自分もそうであり続けたい」。

"There’s times you want to give up and times you want to move on...you get so much satisfaction out of staying and sticking with it, and seeing things turn around."

「あるときは、諦めて、次のことに行動を移したいと思うときがある。そうすることで満足感を得られ、物事が好転していくことを見てきた」。

 

思い上がったようなコメントもあるが、ユーモアもあり、人生経験を言葉にすることもある。彼には選手としての魅力に加え、人間としての魅力も溢れている。

さて、アレンはその後、セルティックスでピアースとチームメイトとなった。

ケビン・ガーネットも同時に移籍してきた。3人のスーパースターがどう並び立つのか注目されたが、セルティックスは1年目から優勝という結果を残している。そのファイナルのとき、ピアースと役割が似るアレンに、「どうやってピアースとボールをシェアしてきたのか」と聞くと、これが答えだった。

「あいつの力は認めざるを得ない。あいつも俺のことを認めてくれた。そういう関係を築くことができれば、そこに嫉妬なんて生まれないんだよ」。

ところでピアースは、ホークスとのシリーズ最終戦では最後に3ポイントシュートを決め、同点としたかに見えた。ところがビデオ判定の結果、試合終了を告げる赤いランプが点いたとき、ボールはまだピアースの指先にあった。わずかに遅かったのだ。

引退を匂わせているピアースにとっては、あれが最後のプレーとなるのか。

"I don't even know if I'm even going to play basketball anymore. These seasons get harder and harder the older you get. It's tough rolling out of bed every year, every day."

「これ以上バスケットを続けるかどうか分からない。年齢を重ねるうちに、どんどん(体力的に)厳しくなって来ている。毎年、毎日、ベッドから起き上がるのがしんどいんだ」。

ピアースは、意味深な言葉を残して、コートを去った。

文:丹羽政善

 

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