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[丹羽政善コラム第27回] ケビン・ガーネット ――古巣ミネソタへの帰還

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現地2月19日、ブルックリン・ネッツからミネソタ・ティンバーウルブズへトレードされたケビン・ガーネット。シーズン前から引退が噂され、キャリアを始めたチームでキャリアを終えることを自ら望んだかのような移籍となった。今回、彼の最後のプレー姿を見ておきたいと考えてアリーナに足を運んだものの、彼の名前は先発メンバーにはなく、ジャージー姿すら見られなかった。ウルブズの一時代を築いた選手。今後は、やはり噂されるようにオーナーとしてのキャリアを歩むのだろうか。

***

3月11日――フェニックス・サンズとの試合前、ウルブズのスターターが紹介されたが、ケビン・ガーネットの名前はなかった。そのとき彼は、スーツ姿でベンチの前。プレーどころか、試合前に滑り止めのパウダーを宙に撒いたり、リングを支える柱のサポートに頭をぶつけたり、といった試合前のルーティンさえ見ることができなかった。

オールスター前に痛めたひざの影響というが、深刻な故障ではなく、遠征だからということらしい。選手としての残された時間が限られているのか、これからもホームゲームを優先し、敵地での試合は休むことが多くなるようだ。視野に入るのは引退か。

本人はまだそのことを認めてはいないが、昨年12月にこんな話をしていた。

「この段階になったら、認めようが認めまいが、(引退のことをが)頭にある。そのことに嘘はつけない」。

長く苦しんできたひざの故障。年齢による衰え。また最近は、「ウルブズを買いたい」と話すなど、引退後の夢を語ることも多くなった。

そのガーネットを初めて生で見たのは、彼のプライベートである。

1996年2月、サンアントニオでオールスターゲームが行なわれた。サンアントニオといえば、市内を流れる川をボートで巡る「リバーツアーズ」が有名だが、そのツアーに参加しようとボート乗り場で待っていると、着いたボートから降りてきたのが、ルーキー・チャレンジに出場予定のガーネットだったのである。

すれ違う。見上げた先に彼の小さな顔があった。

今も細い選手だが、当時はもっと線が細かった。よってインサイドで戦えるのかという懸念が新人の頃はあったが、杞憂に終わる。ルーキーイヤーは、前半こそ控えだったものの、1月9日に初先発。1月30日以降は今に至るまで、出場する試合では、必ずスターターとしてコートに立ってきた。2年目にはもうチームの柱となると、トム・ググリオッタ、その年にデビューしたステファン・マーブリーの3人で、チームを1989年に創設以来初のプレーオフに導き、それから8年連続でポストシーズンに駒を進めたが、選手が入れ替わる中で、常に中心にいたのはガーネットだった。

2003−04シーズンには、ウォーリー・ザービアック、ラトレル・スプリーウェル、サム・キャセールといった脇役にも恵まれ、カンファレンス・ファイナルに進出。コービー・ブライアント、シャキール・オニールのコンビにカール・マローン、ゲイリー・ペイトンを加えたレイカーズに2勝4敗で破れたものの、大健闘。この年ガーネットは、MVPにも選ばれている。

その彼のウルブズ時代、たびたびミネアポリスへ足を運んだが、そもそもミネアポリスとは縁があり、初めてオールスターゲームを取材したのは、1994年に同地で行なわれた第44回のオールスターゲームだった。試合後、零下20度の中をレストランまで歩いたことを思い出す。途中で耐えきれず、走って入った店にミネアポリス・レイカーズ時代に一時代を築いたジョージ・マイカンがいた。

極寒の地とはいえ、ウルブズの本拠地ターゲット・センターで試合を取材するのは嫌いではなく、むしろ好きなアリーナの一つだった。メディアが少ないためか、コートサイドに席が用意され、そこではテレビなどでは絶対に分からないバスケットを見ることができた。コート上で選手らがどんな会話を交わしているのか。ヘッドコーチがどんな指示をしているのか。すべて聞こえてくるのだ。

何より覚えているのは、ガーネットのトラッシュトーク。彼は、マッチアップする選手を放送できないような言葉で罵る。しかも、試合中、ずっとである。相手はたまったものではない。ほかにトラッシュトークで有名なのはペイトンだが、ガーネットのトラッシュトークはリーグ屈指ではなかったか。

もっとも、試合後の彼の取材に関しては、いい思い出がない。

とにかくガーネットが、ロッカールームに姿を見せないのだ。試合後、他の選手が取材に応じ、すでに着替えて帰ってもまだトレーナールームにこもったまま。体のケアを丁寧に行なっているのだが、地元記者など、他の選手のコメントがとれた時点で一度記者席に戻って原稿を書き始め、頃合いを見計らってまたロッカールームに戻ってきた。それぐらい延々と待たされるのだ。

やがて、彼のニックネームだった「THE TICKET」というタオルを腰に巻いて現れると、それから囲み取材。ところが、蚊の鳴くような声で話すので、正面にでもいなければ、何を言っているかさっぱり分からない。そんな点でも、メディア泣かせだった。

2007年、そのガーネットがミネソタを去り、ウルブズは長い低迷期に入る。一つの時代が終わった。ガーネットはセルティックスで2007−08シーズンに念願の初優勝。その後再び、トレードでネッツに移籍。そのとき、ウルブズ時代の21番でもなく、セルティックス時代の5番でもなく、2番という番号を選んでいる。

理由があった。

ガーネットは子供の頃、セントジョンズ大のマリーク・シーリーという選手に憧れた。1999年からは、そのシーリーとウルブズでチームメイトとなる。2人は自然と親友と呼べる間柄になった。ところが、である。2000年5月20日、シーリーは高速道路を逆走してきたピックアップトラックに衝突され、帰らぬ人に。ガーネットの誕生パーティから帰るところだった。

そのシーリーがウルブズ時代につけていたのが、「2番」。セルティックスでは永久欠番だったが、ネッツでは空き番。ガーネットは迷わずその番号を選んだようだ。

***

さて――。目の前で行なわれていた試合は、序盤からサンズがリードし、そのまま逃げ切った。

試合後、少しでもガーネットと話したかったが、ロッカールームの外で行なわれたフリップ・サウンダースHCの会見に参加しているとき、プレーしなかったガーネットが早くもロッカールームから出てきて、そのまま通路をバスに向かって急いだ。

ミネアポリスではあれだけ待たされたのに、こういうときだけ早いとは――。

小さくなる彼の背。おそらく現役最後となる彼の姿は、最初に見たときと同じ私服姿だった。

文:丹羽政善

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