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[丹羽政善コラム第25回] ジミー・バトラー ――NBA版『しあわせの隠れ場所』

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13歳で路上に放り出される

「お前のその見かけが嫌いなんだ。もう、出て行け」。

2011年のドラフト前のことである。ジミー・バトラーが13歳のとき、母親から家を追い出された事実が明らかになったのは――。ESPNのチャド・フォード記者が、そんな衝撃的なコメントなどを使って、報じている。

父親は、まだバトラーが赤ちゃんのとき、家族を捨てて家を出たとのこと。大きくなって、バトラーが父親に似てきたのだろうか。母親は、息子を容赦なく捨てた。

とはいえ、そのときまだ、バトラーは13歳である。日本で言えば、中学1年生の少年が、お金も持たず、お金を稼ぐ術を持たず、頼る身寄りもなく、着の身着のままで、路上に放り出されたのである。

その後彼は、どうやって生き抜いたのか?

バトラー自身は、積極的に明かしていない。

「みんなが、僕のことを知ろう、という状況に慣れていないんだ。だから聞かれるたびに、どう答えていいのか、躊躇してしまう」。

わずかながら彼が明かしたところによれば、友達の家を転々としていたそう。一つの家にいられるだけいて、いづらくなると、違う友人を頼ったという。

そんな生活をしばらく続けたものの、転機が訪れたのは、高校の最終学年になる前の夏のことである。アメリカの多くの学校は、9月から新学年が始まるが、その直前、夏休みに行なわれたサマーリーグの試合後、ジョーダン・レスリーという少年が、バトラーに3ポイントコンテストを挑んだ。その後、2人は友達になると、レスリーがたびたび、バトラーを家に招くようになった。

その後、バトラーの境遇を知ったレスリー家が、彼を迎え入れる。もちろん当初は、レスリーの両親が反対。すでに7人の子供がいて、経済的にも余裕はない。ところが、その7人の子供たちが、バトラーが泊まりにくるたび、「今日は、僕が一緒にバトラーと寝る番だ」と、取り合いをするようになったという。バトラーは、レスリー家にかけがえのない存在となっていた。

NBA版『しあわせの隠れ場所』

このとき、13歳で家を追い出されてから初めて、バトラーは、“家”と呼べる、多くの少年にとっては当たり前の空間を得ている。まるで映画に出てくるエピソードのようだが、似たような実話を元にした映画がある。

『しあわせの隠れ場所』(原題: The Blind Side)では、NFLテネシー・タイタンズのマイケル・オアーの半生が描かれているが、彼も実は、大学に入る少し前まで、ホームレス同然の生活を送っていた。

12人兄弟という家庭に生まれたが、オアーは、父親を知らず、母親はアルコール、コカインの依存症で、オアーらは、児童養護施設で、子供時代の大半を過ごした。彼もしかし、高校のときにある家庭に引き取られ、家族を得る。その後、ミシシッピ大学へ進学すると、2009年のNFLドラフトでボルティモア・レイブンズから1巡目指名(全体の23番目)を受け、NFL入りを果たしている。

ただ、バトラーの場合、オアーほど、恵まれた状況にはなかった。

オアーは、高校卒業時、多くの大学から奨学金の申し出があり、将来のNFL入りも確実視されていた。一方でバトラーは、高校時代にポテンシャルを示していたものの、有名大学からの誘いはなく、仕方がなく、最初は短大に通っている。NBAに入るとしたら、いきなりのハンデである。

ただ、その短大の1年目に活躍すると、マーケット大、ケンタッキー大、クレムソン大などから、特待生としてのオファーが届いた。その中から転校先として選んだのは、マーケット大。NBAに入れなくても、マーケット大なら学力もしっかりしているので、その後も困らないだろう、という新しい家族によるアドバイスだった。

実際、NBAの道は遠かった。

マーケット大での1年目は、主に控え。平均出場時間は19.6分で、平均得点は5.6点にすぎなかった。ただ、厳しい状況を乗り越えるのは、彼にとって決して難しいことではないのかもしれない。13歳で家を追い出され、高校を卒業するときには、バスケットの名門校から見向きもされなかった。しかし彼は、そんな中から這い上がってきたのだ。

マーケット大では、2年目から頭角を現わし、2年目は1試合平均14.7点、3年目は15.7点をマーク。得点する以外にも、複数のポジションの選手とマッチアップできること、リバウンドを取れることなどが、NBAのスカウトに評価され、一気にNBAへの道が開けた。

逆境を乗り越えてNBA選手へ

ドラフト前、NBAのあるGMが、フォード記者の取材に対して、こう話したそうだ。

「彼の信じられない人生を辿ってきた。彼は、何度も、何度も、人生が悪いほうへ向かう危機に直面した。しかし彼は、そのたびにその危機を乗り越えた。彼と話すと――彼は、自分のことを話すのが好きではないようだが――彼の中には素晴らしいものがあると感じる」。

NBAには、複雑な家庭環境で育った選手が決してく少なくない。レブロン・ジェイムズ(クリーブランド・キャバリアーズ)は、父親を知らない。少し前に紹介したジョン・ウォール(ワシントン・ウィザーズ)も、父親との記憶がほとんどない。デリック・ローズ(シカゴ・ブルズ)にも父親はいない。彼らは揃って、多くの子供たちがやがて、犯罪に手を染める治安の悪い地区に住んでいたが、道を謝らなかったのは、母親の存在があったからだ。彼女たちが、守った。

しかしバトラーの場合、レスリー家に迎えられるまで、誰の庇護を受けるでもなく、厳しい環境の中をたった1人で生き抜いた。それだけ、強い意志をもった人間と言えよう。

彼は昨シーズンが終ると、練習に集中するため、インターネットもケーブルテレビもないアパートを借りて、夏を過ごしたそう。それが彼の今季の成長の一因とも言えるが、同時に彼の意思の強さが伺える。

※文中の日付とデータは現地時間(2015年1月18日時点)。

文:丹羽政善


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