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Road to NBA インタビュー

Road to NBA インタビューNo2.川村卓也選手

Road to NBAインタビューNo.2:川村卓也選手(JBL リンク栃木ブレックス所属)

JBL初の高卒ルーキーながらも新人王賞を獲得。 その後も日本代表メンバーとして世界選手権、アジア選手権も経験し、2008-09シーズンにはJBL得点王に輝いた。 2009年のサマーリーグでフェニックス・サンズと契約しNBAとの距離感を肌で感じた今回の経験について聞いてみた。

得点王になったということで、一つ踏ん切りがついたこともあって、アメリカでの挑戦ということを考えたんです
川村卓也選手
今回NBAに挑戦し、サマーリーグに出場することになった経緯を教えてください。
「JBLのゲームを観に来ていたエージェントの方から、一度話がしたいと言われて、その時に、もしNBA挑戦を考えているなら、 手助けができるから考えてみないかって声をかけられたんです。 ただ、そのエージェントも僕の試合を観に来ていたわけではなく、実際のプレイを見ていたわけではなさそうでしたが、 日本の関係者などの話を聞いて、僕に声をかけてくれたみたいでした。 僕自身、得点王を取ることができたこともあって、このオフにはアメリカに挑戦したいという気持ちを持っていたんです。 そんなタイミングでもあり、エージェントもしっかりとした会社だということもわかったので、今回、その話を受けさせていただきました」
これまで、NBAにチャレンジすることについて、具体的なアクションを起こしたことはあったのですか。
「それはないですね。これまので、JBLのオフには日本代表での活動もありましたし、日本代表でも頑張りたいという気持ちも強く持っているんです。 ただ、シーズンを通して自分の役割である得点をとるということができて、得点王になったということで、一つ踏ん切りがついたこともあって、 アメリカでの挑戦ということを考えたんです。 OSG時代に中村(和雄)監督からも日本でずっとプレイすることだけじゃなく、海外に行けってずっと言われていたんで、 そのころから意識はしていました。ただ、なかなかきっかけがなくて、これまで過ごしていた感じですね。 今回、こうした話をもらったので、自分の力がどのくらいのものなのか確かめてみたいという気持ちもありましたし、 アメリカのバスケに触れてみたいと思ったんです」
それからロスでワークアウト、ヨーロッパでのショーケースと話が進んでいったわけですね。
「そうですね。ただ、ショーケースではドラフトにかかる資格を持った選手を対象としたものだったので、 実際にそこでプレイすることはできなかったんですが、その際に別の機会を設けてくれて、スカウトたちに自分のプレイを見てもらうことはできたんです。 その時にキャブスのスカウトの目にとまって、ミニキャンプに招待されたんです」
その後、実際にサマーリーグでプレイしたのはサンズでしたね。サンズのスカウトとはどこで接点があったのですか。
「ロスのワークアウトの時に話があって、個別に時間をとって、プレイを見てもらいました」
ロスでのワークアウトはどんな感じだったのですか。合宿みたいな感じですか。
「6、7人でロスの体育館で合宿している感じです。一緒にいたメンバーにはNBAのドラフトにかかったダレン・コリソンもいました。 そうした期間中に、NBAのチームに呼ばれたりするとその期間だけ抜けて、また戻ってくるといった感じですね。 体育館のすぐ近くのホテルに泊まって、練習中の食事はトレーナーが管理してくれて、ケータリングみたいに緑の大きなバックに1日分が届いて、 それを食べてました。いわゆるスポーツ食で、栄養のバランスなどは取れていたと思います」
プレイを見てもらう機会というのは、どのような感じですか。一人ずつ呼ばれるのですか。
「自分ひとりが呼ばれて、コーチの方々の指示に従ってシューティングやドリブルなどのスキルを見せる場合もありますし、 ワークアウトのチームメイトと一緒に見てもらうこともあります。 その場合は事前に連絡が入って、エージェントからもしっかりと準備をしてやるようにといったことを言われますね」
川村卓也選手
そのようにアメリカでプレイする機会を得た中で、これは大切だ、必要だと感じたことはありますか。
「アメリカだからというわけではなく、バスケットをする上で、主張することの大切さを感じました。 言葉が話せないからといって、だまっていてはダメで、単語でも何でもいいからコミュニケーションをとる。 コーチは常に声を出す選手を好むんです。細かなことですけど、シューティングの時に数を数えたりすることも、キャッチボイスなどもそうです。 練習を盛り上げるような声もそうです。そうしたことをとても重要視するんですね。 ニューオリンズにドラフト指名されたダレン・コリソンは、常に声を出して、練習を盛り上げて、 それでいて自分のプレイをきっちりとやる選手で、コーチの一番のお気に入りでしたね。 同じチームの中で、ライバルでもあったわけですが、お手本でもありました」
インターナショナル・プレイヤーだということで、特別に求められたことはありますか。
「特別なことは何もなかったですね。自分の持っている力を見せてみろといった感じで、一緒にいたアメリカ人たちと同じことを求められました。 むしろ、日本人だから人一倍やらないとついて来れないぞといった緊張感を与えられながらやってました。 厳しいことも言われましたが、それは日本人だから見下されているのではなく、自分のことを思って言ってくれているのがわかりましたし、 自分のシュート力への期待といったものも感じて、それに応えなければと思いました」
英語でのコミュニケーションはどうでしたか。
「僕自身は全然ダメだったんですけど、たまたまエージェントの関係者の中に日本語を理解できる人がいて、その方に頼ってました。 ペラペラではないんですけど、わからないことは聞いたりできたので、ずいぶんと助けてもらいました」
川村選手の場合はシューターになるわけですが、ボールをもらうことは大変だったのではないですか。ボールをもらうために意識したこととかはありますか。
「日本でプレイしていれば、自分のことをわかってくれていますからシュートを打ちたいと思うときにパスをもらうことができますが、 アメリカではそうではないですからね。シュートを決めてくれるという信頼がなければボールはもらえません。 そんな時は、スクリーンに行ったりして、チームメイトを生かしてから、ボールをもらったりといったことを考えました。 まずは脇役になることで、そのあと自分にチャンスが訪れるというのも学んだことですね。 でも本当に大事なのはパスをもらったら、ファーストタッチでシュートを決めるということですね。 最初にシュートを決めれば、次にもパスをくれます。 自分はファーストタッチでシュートを決めることができたので、徐々にボールがもらえるようになってきました。 アシストの数を気にするプレイヤーもいるので、こいつはシュートを決めると思ってもらえなければ、パスはもらえないんです。 あとは、自分がディフェンスでマークしている相手にシュートを決められた後に、やり返せとばかりにボールをもらえることがあります。 その時もきっちりとやり返さなければ、その後はボールをもらえなくなってしまいます」
サマーリーグで出場したときは、そのファーストタッチのシュートを決められなかったわけですが、それについては悔いが残っていますか。
「確かに、あのシュートを決めていれば、その後の出場時間も延びたかもしれませんね。 だだ、あの時はコートに出たらまずはシュートを打とうということを心がけていたので、それはできたわけです。 それが入ればよかったんですけど、難しかったですね」
実際にNBAが近づいたといった実感はありますか。
「近づいたという感じはまったくないですね。これまで見えなかったNBAまでの距離感を、肌で感じることができたといった感じですね。 もし、今の実力でNBAのコートに立ったら、自分はすごく恥ずかしい思いをするだろうなって思いますし、 自分のプレイはこんなもんなんだって、簡単にNBAを目指しますなんて言ってちゃいけないなって。 すごい才能がある人間が、すごい努力して成り立っている世界というか、生半可な気持ちでは挑戦もできないって思いました」
それでもNBAという舞台に立つことを目標としているわけですね。
「そうですね。自分に必要なものを感じて、鍛え直すこともできますし、大きな目標があれば、なんにでも挑戦できると思ってます。 自分を鼓舞してでも目指したいと思った環境でしたから。 自分にとって今回のチャレンジは本当に無駄な時間ではなかったですし、いい経験をできた時間だったと思ってるんです。 ただ、簡単にNBA挑戦って言葉を言っちゃいけないという思いも強いですね。この言葉を使うには相当の覚悟がいるなって」
NBAを目指したいという若い選手たちにアドバイスを。
「NBA選手になりたいという夢を持つのはいいことだと思います。大きな夢を持つことには僕は大賛成。 ただ、簡単なことではないので、その大きな夢にたどりつくために、努力ができるかというのは自分次第です。 自分が夢を追いかける気持ちをしっかりと持って、夢の大きさに負けないことですね。 日本人がNBA選手になれないわけじゃないってことは、(田臥)勇太さんが証明してくれたわけですから、 いろんな選手たちがNBAに挑戦したいと思って、大きな舞台を目指すのであれば、僕と一緒に頑張りましょう。

プロフィール

川村卓也 1986年4月24日、岩手県出身。
盛岡南高卒業後、JBL初の高卒ルーキーとしてオーエスジーに入団し新人王を獲得。
世界選手権、アジア選手権も経験し2009年のNBAサマーリーグではフェニックス・サンズの一員としてプレイ。
2008年からJBL・リンク栃木ブレックス所属。
193cm, 86kg

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