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[宮地陽子コラム第93回]クリス・ポール&PJ・タッカー、幼馴染が挑む初のカンファレンス・ファイナル

Rockets Chris Paul PJ Tucker

去年7月、NBAのフリーエージェント市場が始まった直後、クリス・ポールのもとに幼馴染から連絡があった。PJ・タッカーだった。

「僕がタイソン・チャンドラーの家にいたとき、タック(タッカー)が連絡してきて、ロケッツに来ることを考えているっていうんだ。『絶対そうするべきだ』と答えた」とポール。

ノースカロライナ出身で同い年──誕生日もわずか1日違いだ──のポールとタッカーは、まだ小学生の頃から、AAUチーム(クラブチーム)でよく対戦していて、お互いを知っていた。大学を決めるときにも、ポールが先に進学を決めていたウェイクフォレスト大がタッカーのことも勧誘しており、チームメイトになる可能性もあった。

結局、タッカーはテキサス大を選び、その後、2人は別々の道を進んでいった。ポールは2005年のNBAドラフト1巡目4位でニューオリンズ・ホーネッツ(現ペリカンズ)に指名され、3シーズン目にはオールスターに選ばれ、リーグのトップ・ポイントガードと評価されるようになった。

一方、タッカーは、ポールから遅れること1年、2006年になってNBAドラフトにエントリーし、2巡目(全体35位)でトロント・ラプターズに指名された。しかし、プロ1年目は17試合合計83分出場しただけで、翌2007年3月に解雇。その後、フェニックス・サンズでの活躍でNBAに定着するまで、5年の間、ヨーロッパのチームを転々と渡り歩いていた。

NBAでの実績はポールのほうが間違いなく上なのだが、実はポールは大学に入る前に、もしビッグマンになれたとしたら、タッカーのような選手になりたいと思っていた。

「もし、ビッグマンだったら、どんな選手になるだろうとよく考えたんだけど、PJのようになりたい。彼は力強いし、いやらしいからね」と、当時のポールは語っている。確かに、ポールもタッカーも、身体のサイズやスキルに違いはあれ、誰が相手でも引き下がることなく向かっていくメンタリティは似ている。

実は、2人をロケッツに引き寄せたのも、そんなメンタリティだった。去年夏、何としてもゴールデンステイト・ウォリアーズ相手に勝てるチームを作りたかったロケッツのダリル・モーリーGMは、ディフェンス力があり、メンタルの強い選手を補強しようとしており、6月末にトレードでポールを獲得。その後、FAでタッカーを狙ったのだった。

タッカーがいくつかのチームの中からロケッツを選んだ理由のひとつには、自分と同じように負けず嫌いのポールがいたということがあった。ポールがいるチームだったら、過去のロケッツのようなただ単に点を取り合うだけのチームではなく、ディフェンスでタフに戦うチームになるだろうという確信があったのだ。

「クリスは競争心が強いヤツだからね。彼なら攻守の両方で競い、毎晩勝とうとする。FAとしては、彼のようなヤツといっしょにプレイしたい」。

ポールとタッカーには、もうひとつ同じことがあった。それだけ負けず嫌いの2人だったが、今シーズンになるまでカンファレンス・ファイナルを戦ったことがなかったのだ。5月8日、ユタ・ジャズとのウェスタン・カンファレンス・セミファイナル第5戦に勝ち、カンファレンス・ファイナルに駒を進めたとき、ポールは言った。

「お互いに昔から知っていて、家族同士も知っているほどの仲の彼と、こうやって同じチームでプレイできて、しかもお互いに2回戦より先に行ったことがなかったのが、いっしょに(カンファレンス・ファイナルに)出ることができた。これはなかなかクールで特別なことだ」。

文:宮地陽子  Twitter: @yokomiyaji

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