[宮地陽子コラム第61回]追悼 ジョニー・バック――ブルズ黄金期を支えた“スペードのエース”
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[宮地陽子コラム第61回]追悼 ジョニー・バック――ブルズ黄金期を支えた“スペードのエース”

1990年代初期にマイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズが3連覇を達成したとき、フィル・ジャクソンHCのアシスタントコーチとして鉄壁の守備を構築したのがジョニー・バックだった。当時、シカゴを拠点に取材していた宮地氏が、彼の知られざるエピソードを綴る

1月18日にジョニー・バックが、91歳で亡くなった。シカゴ・ブルズ最初の3連覇のとき(1991~93年)にアシスタントコーチを務めていた一人だ。最近になってNBAを見始めた人はもちろん、1990年代にブルズのファンだった人でも、名前までは知らないかもしれない。当時、ブルズのオフェンスを担当していたのがテックス・ウィンターで、ディフェンスを担当していたのがバックだった。マイケル・ジョーダン、スコティ・ピッペン、ホーレス・グラントの運動能力と腕の長さを生かしたディフェンスは、通称“ドーベルマン・ディフェンス”と呼ばれており、当時のブルズの強さの要因のひとつだった。

ジョニー・バックと言うと、一番に思い出すのはスペードのエースだ。あの頃、ブルズの試合後、取材のためにロッカールームに入ると、必ずホワイトボードに、バック手書きのスペードの絵と、その中に試合で最もチームに貢献した選手の背番号が書かれていた。

これは、バックの軍隊経験からきていた。アメリカの軍隊ではスペードのエースは好運を意味し、またベトナム戦争では敵の死のシンボルでもあったという。

バック自身、第二次世界大戦時には海軍の兵士だった。バスケットボールの話で何度も取材し、話を聞いたことがあり、バック・コーチも私が日本人だということは知っていたはずだが、彼も戦争の話はしてこなかったし、私も、聞くことはできなかった。アメリカの記者からの情報で、海軍パイロットだった双子の兄弟が第二次世界大戦で戦士したことを聞いていたから、余計に聞きにくかったのだけれど、さらに後から知った話では、彼自身、原爆が投下された後の長崎にも駐留していたのだという。

おそらく、日本や日本人に対しては複雑な思いがいろいろあったと思うのだが、いつ会っても、そんなそぶりはまったくなく、取材に行くと、いつも優しい笑顔で迎えてくれた。

そんな笑顔とは対照的に、彼の試合に対する姿勢や、選手にかける言葉は戦場で使われるような表現が多く、激しかった。試合を戦争に喩え、「殺らなければ殺られるぞ」といったようなメッセージを常に送っていた。もっとも、試合は実際の戦争とは違うということを誰よりもわかっていたのも、バック・コーチだったけれど。


アシスタントコーチとして守備を担当し、フィル・ジャクソンHC(右)を支えたジョニー・バック。ブルズでは1986~94年、2003~06年にアシスタントコーチを務めた。1924年生まれ Photo by NBAE/Getty Images

フィル・ジャクソンがバックの死を聞いて書いた追悼のエッセイが、ジャクソンのツイッターアカウントやブルズのホームページなどで公開されていた。そこに、こんなエピソードがあった。

まだジャクソンがヘッドコーチになる前、ダグ・コリンズがヘッドコーチで、バックとジャクソンがアシスタントコーチだった頃の話だ。バックとジャクソンは対戦相手のスカウティングビデオ編集を担当し、お互いに競うようにビデオ編集に工夫をこらしていたという。


「ジョニーは彼のテープを、殺すべき敵を象徴する尻につきつけたライフルとスペードのエース(の映像)で締めくくっていた。私の世代はベトナム戦争に反対していた世代だから、私はテープを、ジミー・ヘンドリックスがウッドストックで歌った国歌や、トーキング・ヘッズの『ストップ・メイキング・センス』のクリップで締めていた」。

ジャクソンとバックの世代や世界観の違いをよく表したエピソードだ。その後、ジャクソンがヘッドコーチになった後も、ブルズのチームには確かに、バックの戦争体験をもとにした攻撃的なメンタリティと、瞑想で心を落ち着かせるジャクソンの調和的なメンタリティが共存していた。スコッティ・ピッペンやホーレス・グラントといった若手の力が必要だった初期3連覇では、どちらが欠けていても優勝はなかったのではないかと思う。

バックと最後にゆっくり話をしたのは、ダグ・コリンズがヘッドコーチで、マイケル・ジョーダンが現役復帰したワシントン・ウィザーズのトレーニングキャンプのときだったから、もう15年近く前のことだ。

ウィザーズについての話を聞いた後に、何とはなしに世間話になった。彼はその6年前に心臓発作を起こし、瀕死の状態に陥ったことがあった。そのことを思い出し、健康状態の話から、趣味の話になったように記憶している。バックは、その少し前から描き始めたという水彩画の話をしてくれた。いつもの優しい笑顔で、ニコニコと嬉しそうに、絵を描く楽しさを語っていた。

その後も何度か顔はあわせたが、挨拶程度でゆっくり話をすることはなかった。結局、日本の話も長崎の話も聞くことがないままだったが、それでよかったと思っている。記者としては聞くことも仕事のうちなのかもしれないけれど、それでも、最後の話が水彩画の話でよかった。

Rest in peace, Coach Bach.

文:宮地陽子  Twitter: @yokomiyaji

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