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[宮地陽子コラム第60回]ラリー・ナンスJr.――レブロン・ジェームズ&ステフィン・カリーと同じ街で生まれた二世選手

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Larry Nance Jr.. Lakers

NBAに現役3人目のアクロン生まれの選手がいるのをご存知だろうか?

オハイオ州アクロン生まれの現役NBA選手として一番有名なのは、間違いなくレブロン・ジェームズ(クリーブランド・キャバリアーズ)だ。1984年12月30日にアクロンで生まれ、アクロンで育ち、そしてアクロンにあるセント・ビンセント=セント・メアリー高校に通った。故郷を大切に思う彼によって、アクロンが世界中にその名前を知られる街になったといっても過言ではない。

2人目はステフィン・カリー(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)。ジェームズ誕生の3年2か月半後、1988年3月14日にアクロンにあるジェームズと同じ病院で生を受けた。去年6月のNBAファイナルでウォリアーズとキャバリアーズが対戦したことで、2人が共にアクロンで生まれたことに注目が集まったことは記憶に新しい。カリー誕生当時にキャバリアーズの一員だったカリーの父、デル・カリーは、ステフが誕生した約3か月後にエクスパンション・ドラフトで指名され、翌シーズンからシャーロットに移籍しているので、カリーにとってアクロンは出生証明書に書かれている町の名前に過ぎないが――。

さて、3人目のアクロン生まれは、今シーズンからNBA入りした新人、ロサンゼルス・レイカーズのラリー・ナンスJr.だ。昔からのNBAファンなら、名前を聞いただけでピンと来るかもしれないが、父、ラリー・ナンスは元NBAのオールスター選手。ナンスJr.誕生(1993年1月1日)の約5年前に、最初の7シーズンを過ごしたフェニックス・サンズから、キャバリアーズにトレードされ、キャリア後半をキャブズの一員として過ごした。そして現役最後のシーズンに生まれたのがナンスJr.だったというわけだ。

その頃、キャブズのホームコートはクリーブランド市内ではなく、郊外のリッチフィールドという街にあった。そこから車で30分ほどに位置するアクロン周辺は、どうやら選手たちが暮らすのにちょうどいい街だったようだ。もっとも、さすがにナンスJr.が生まれたのは、ジェームズやカリーとは別の病院だったらしい。

「僕が生まれたのは彼らと同じアクロンの街だけど、病院は違うんだ。それでも、アクロンの水に何か特別なものがあるのは確かだね」と、ナンスJr.は陽気に笑った。

「アクロン出身はレブロン、ステフ、僕のほかにもいる。(フィラデルフィア)76ersでプレイしているジャカー・サンプソン、それから、この前のドラフトで(ワシントン)ウィザーズに指名されたアーロン・ホワイトもそうだ(※)。何人かいるんだよ。アクロンは今、注目の街だね」。

※厳密に言うと、サンプソンが生まれたのはアクロンではなくクリーブランド市内。ただ、高校はジェームズの後輩なのでアクロン育ちではあるようだ。また、ホワイトはウィザーズに2巡目で指名されたが、現在ドイツのブンデスリーガのチーム所属。生まれも、正確にはアクロン近郊のストロングスビル。

ナンスの両親は、今もオハイオ州のアクロンにほど近い町に住んでおり、ナンスJr.にとっては今も大切な故郷だが、その一方で、ジェームズのように故郷に強いこだわりがあるわけではないようだ。むしろ、どんな街に住むことになっても、その土地を自分の街として満喫してきた。

高校卒業時に進学先として選んだ大学はワイオミング大。ワイオミングはアメリカの中で最も人口が少ない州で、大学があるのはオハイオから2000km以上離れた田舎町だ。リクルートされて学校訪問をした後も、父はナンスJr.が親元から離れた土地を選ぶことはないと思っていたというし、母はナンスJr.がワイオミング大に行くと告げたとき、愛息が遠く離れた土地に行くということで落胆して泣いたという。しかし、ナンスJr.自身は故郷から遠くても、自分を受け入れてくれたディビジョンⅠの大学に行けることに大喜びだったという。実際、ワイオミングの田舎町での生活を満喫し、卒業まで4年間を過ごした。

それから4年後、次にナンスJr.が行くことになったのは大都市ロサンゼルスだ。ドラフト1巡目27位でレイカーズに指名されたのだ。伝統あるレイカーズとはいえ、コービー・ブライアントの引退間近で世代交代の再建期という難しいタイミングだ。それでも、ドラフト指名後の最初の会見で、「今、心から言えるのは、レイカーズ以上にいたいと思うチームはないということです」と断言して、レイカーズファンの心をつかんだ。

ナンスJr.が自分を受け入れてくれる土地やチームに忠誠心を尽くすタイプなのには、理由があった。高校のときにクローン病という難病であると診断され、今も7週間に1度、3時間かけて薬の投与を受ける必要がある。高校時代に遅咲きだったことも、卒業近くまでほとんどディビジョンⅠの大学からのオファーがなかったのも、そのことに起因していた。

さらに大学では3年のときに前十字靭帯を断裂。そのときは「バスケットボール選手としての死に等しいと思った」と言う。そのこともあり、NBAドラフト前の予想ではよくて2巡目上位での指名だと言われていた。実際、レイカーズが1巡目の終盤、27位で指名したときには、過大評価の失敗指名だとまで言われたほどだ。

キャリアを通して周囲からの評価が低かったからこそ、そんな中で自分を評価し、受け入れてくれたチームへの思いが強いのだ。

よく、指名順位が低かった選手は、自分を指名しなかったチームを見返したいと言うのだが、ナンスJr.は、違うようだ。

「2巡目指名だと言われていた。ドラフト指名されないはずだったと言ってもいい。でも、1巡目で指名された。(低い評価をしていた人たちのことは)もう気にしない。僕の目標は、このチームとコーチたちにできる限り満足してもらうことだ」。

かつて、金脈を掘り当てるために西へ、西へと移っていった男たちのように、自分の夢をかなえるために、偶然ながら西へ、西へと移っていったナンスJr.。たどり着いた先にあったのは、確かにゴールド(&パープル)だった。


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著者
宮地陽子 Yoko Miyaji Photo

スポーツライター/バスケットボールライター