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[宮地陽子コラム第43回] “鉄仮面”ティム・ダンカンの人間味あふれる素顔

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現地4月24日、ロサンゼルス・クリッパーズとのプレーオフ3戦目に勝利した後の記者会見で、翌日の39歳誕生日を前に何か願いはあるかと聞かれたティム・ダンカン(サンアントニオ・スパーズ)は、何度か瞬きした後にこう答えた。

「誕生日をパスして、38歳のままでいられたら最高だね」。

そう言い、席を立ち上がりかけて、思いついたとばかりに付け加えた。

「それか、後ろに戻ることができたらそれもすばらしい」。

ふだんからほとんど感情を見せることなく、淡々とプレーし続け、試合後の取材でも表情を変えずに質問に答える印象が強いダンカンだが、たまに、こういったジョークを言ったり、素顔に近い姿を見せることがある。

実際、チームメイトたちによると、ダンカンは内輪ではドライなユーモアにあふれ、いたずらっ子のような一面もあるらしい。メディア相手には、そういった姿を見せることはあまりないのだけれど、私が直に見てきたダンカンで印象に残っている場面を思い返してみよう。

■第一印象

1997年6月、ドラフト前日の、ドラフト候補選手メディア・アベイラビリティの日のこと。会場となった部屋にはいくつかの丸テーブルが置かれていて、上位指名候補選手たちが各テーブルに1人ずつ座り、取材したい記者がそのテーブルを囲んで話を聞くようになっていた。この年は「ティム・ダンカンとその他大勢」と言われたドラフトだったから、当然ながら、ダンカンのテーブルには本人が来る前から大勢の記者が集まっていた。

ところが、そこに登場したダンカン、なぜかテーブルに背を向け、椅子の背を前に、馬乗りのようにまたがって座り、取材を受け始めた。普通にテーブルを囲んで座ったままでは取材はできないから、他の記者たちと共に慌てて席を立ち、ダンカンの椅子の回りを囲んで取材したのを思い出す。その時にダンカンが話していた内容についてはまったく覚えていないけれど、このときの座り方や、のらりくらりとした受け答えに、ずいぶん自由奔放な選手なのだなぁと思ったのは今でもよく覚えている。

■『サインフェルド』好き

ダンカンがルーキーのシーズンか、2年目ぐらいのことだったと思う。シカゴのユナイテッド・センターでの試合前、コートでのシュート練習を終えてビジター用のロッカールームに戻ってきたダンカンは、ロッカールーム前の通路天井に取りつけられた小さなテレビ(警備員が退屈しないようにつけられていた)の前で立ち止まり、数分間、食い入るように見て、笑って(!)いた。

何かと思ったら、人気シチュエーション・コメディ番組の『サインフェルド』(邦題『となりのサインフェルド』。思わず、「サインフェルドが好きなの?」と聞いたところ、「そうなんだ。一番好きな番組だよ」と答えたのを覚えている。まだダンカンも初々しかった頃の話だ。ダンカンのドライなユーモア感覚は、サインフェルドを見て培ったものなのかもしれない。

■実は、面倒見がいいお兄ちゃん

クリッパーズのブレイク・グリフィンが(故障シーズン全休明けで)NBAデビューした2010-11シーズンのこと。開幕直後にスパーズがLAにやってきて、クリッパーズと対戦した。試合後、両チームの取材を終えて、クリッパーズのロッカールームの前を通ったら、ダンカンがこの日のボックススコアの裏に何やらメモを書いて、ボールボーイに渡していた。

後日、グリフィンに聞いたところ、このときグリフィンのチームメイトだったバロン・デイビスがダンカンに「うちのルーキーを頼む」と頼んでくれていたそうで、ダンカンはいつでも必要なときは連絡をしてくるようにと、携帯の番号を書いてボールボーイ経由で渡してくれたらしい。頼まれたとはいえ、律儀に電話番号を渡すなんて、意外と面倒見のいい兄貴分のところがあるのかもしれない。

その後、しばらくしてからダンカンに聞いたところ、グリフィンや、同じくクリッパーズのデアンドレ・ジョーダンは、若いけれどまじめに努力しているのがわかるので、認めている選手なのだそうだ。

面倒見がいいといえば、 ダンカンの誕生日当日に、イタン・トーマス(元ワシントン・ウィザーズほか)がフェイスブックに書いていたダンカンのエピソード が面白かった。

何でも、スパーズとの試合中にダンカン相手にジャンプフックを打ったら、走って戻るときにダンカンから「いいムーブだったけれど、もっと身体を僕のほうに入れたほうがファウルをもらえるか、そうでなくてもブロックされずにすむよ」とアドバイスをされたらしい。トーマスが次にアドバイス通りのシュートをしたら(シュートは外れたそうだが)、「さっきよりずっといい」と言われたのだとか。試合中に、聞かれてもいないのに敵の選手にアドバイスをするとは、面倒見がよすぎだ。おそらく、トーマスのことも認めていたのだろう。

ダンカンのこういう人間的なエピソードは、表に出てきていないだけで、まだたくさんあるはず。引退したらもっといろいろと語られるだろうか。あと数年はコート上での元気な姿を見ていたいけれど、その一方で、そういった話を聞ける日が今から楽しみだ。

文:宮地陽子  Twitter: @yokomiyaji

 

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