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[コラム]ティム・ダンカンとグレッグ・ポポビッチを結び付ける暗黙の絆(フラン・ブリンベリー)

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ティミー。

この言葉は、“神話”が事実ではないと示している。

19シーズンにわたり、グレッグ・ポポビッチ・ヘッドコーチはサンアントニオ・スパーズの全選手を平等に扱うと言われてきた。

ときには、犬のように。

コーチが常にどなり、皮肉屋で、チームのベストプレイヤーであるビッグマンに対してすら“ムチ”を厭わないという事実から、伝説はつくられた。

ティム・ダンカンはタイムアウト中に長々と説教をされた。ティム・ダンカンは練習でときに身代わりのように扱われた。チームのどの選手も同じで、誰ひとりとしてどの選手よりも優れていないという錯覚を保つためだけに、だ。サイドラインやロッカールームでいつもポポビッチHCにそういった嫌味を突き付けられたのが、ダンカンだった。

しかし、彼は常に「ティミー」だった。

「ティム」ではない。「ダンカン」でもない。「ビッグファンダメンタル」でもない。

NBA優勝5回、シーズンMVP2回、オールスター選出15回、オールNBAファーストチーム選出10回を記録し、パワーフォワードとセンターを務めた6フィート11インチ(約211センチ)、250ポンド(約113キロ)の男に対するニックネームにしてはかわいらしい。

ティミー。

これこそ、20年近くにわたり、彼らを結び付けてきた“暗黙の絆”を示す最大の証拠だ。

1999年に初めてスパーズが優勝したときのメンバーであるデイビッド・ロビンソンやエイブリー・ジョンソン、ショーン・エリオット、2003年と2005年、2007年に優勝したブルース・ボウエン。すべて、ダンカンより先に永久欠番となった選手たちだ。

ジャック・ボーン、ベノ・ウードリッヒ、ティアゴ・スプリッター、フランシスコ・エルソン、ナジー・モハメド、ボバン・マリヤノビッチ、スピーディ・クラクストン、スティーブン・ジャクソンといった選手たちもいた。

トニー・パーカーとマヌ・ジノビリも加わり、NBA史上最も勝ち星をあげたトリオを組んだ。彼らはスパーズをこの世代で議論の余地のないアメリカ最高のプロスポーツチームへと変貌させた。

12月18日(日本時間19日)、ニューオーリンズ・ペリカンズを113-100で下した試合後、彼らの多くはAT&Tセンターのコートに再び戻ってきた。ダンカンの永久欠番セレモニーのためだ。彼の背番号21は、スパーズで8人目となる永久欠番となった。掲げられたユニフォームには、彼がスパーズに大きな影響を及ぼした物語や記憶が染み込んでいる。

ジノビリは「いろいろな、数えきれないほどの出来事があった」と振り返った。

「厳しいときに、彼が鼓舞してくれたやり方とかね。彼は2万人の前で試合中に胸を叩きながら鼓舞するようなタイプじゃなかった。ロッカールームやホテルでやるんだ。彼が後ろにいると、安心だった。大丈夫だった」。

パーカーは19歳でフランスからやって来た。NBAでの最初の2シーズンは、ダンカンがMVPに選ばれたシーズンだ。パーカーは「彼が特別だったのは、見たこともないやり方で40得点、26リバウンドをマークするからだ」と賛辞を寄せた。

「そして、彼は言葉を発することなく、僕にボールをよこせと伝えることができたたんだ。見るだけさ。ただ見るだけ。それで僕は『わあ、明日もポイントガードでいたければ、今すぐ彼にボールを渡したほうが良い』と思うのさ」。

ペリカンズのアルビン・ジェントリーHCは、スパーズで2シーズンにわたってアシスタントコーチを務め、個人的にダンカンをよく知っている。そのジェントリーHCは「おそらく、彼を知る人なら誰でも、彼が最もメンテナンスに手がかからないスーパースターだと分かるだろう」と語った。

「私は、それこそ彼がほかのスーパースターと最も異なるところだったと思う。彼はチームの12番手、13番手のように指導されることを望んだ。彼に頼り、いろいろなことができたんだ」。

そんな特徴が、ダンカンとポポビッチHCを結び付けた。それにより、ポポビッチHCは、謙虚、共有、仲間のための犠牲というスパーズの文化を発展させ、確立させられたのだ。

彼らが一緒になったのは、ロビンソンが足を負傷し、1996-97シーズンをほぼ棒に振ったからでもあった。その年、20勝62敗に終わったスパーズは、ドラフトロッタリーで全体1位指名権を手にしたのだ。

ダンカンの故郷セントクロイ島で初めて会った2人は、19シーズン連続プレイオフ進出、17シーズン連続50勝以上を記録した長きにわたる関係を構築した。

外の世界で彼らはユーモアを解さなかった。人々は長年、彼らを「退屈なスパーズ」と呼んだ。だが、彼らは内部で一緒に成長し、つるが木の幹にからむように、ともに登っていったのだ。

ポポビッチHCは、ダンカンのお気に入りのデザートがキャロットケーキだと早くから気づいた。そして20年近く、遠征中に外食した際、ポポビッチHCは一切れのキャロットケーキをチームが宿泊するホテルに持ち帰り、ダンカンの部屋の前に置き、ドアを叩いて立ち去ることを続けた。

マヌもトニーも、ロビンソンも、エリオットも、ボウエンも、ジャクソンも、誰もキャロットケーキをもらったことはない。

1万8615人が集まった約1時間のセレモニーの最中、ストイックと思われているそんな2人が感情を表にした。

ダンカンは目を潤ませて「ありがとう、コーチ・ポップ。コーチ以上の存在でいてくれて」と感謝した。

「僕に対して父親のようでいてくれて、ありがとう」。

涙をこらえてコート中央に座っていたポポビッチHCは、こう返している。

「スーパースターが時々ちょっとやってくれれば、ほかの全員は黙って共調する。だから、君を指導させてくれてありがとう。ティミー」。

この言葉こそ、彼らの絆なのだ。

原文: Unspoken bond between Duncan, Popovich revealed during jersey retirement ceremony by Fran Blinebury/NBA.com​


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NBA日本公式サイト『NBA Japan』編集スタッフ