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ステフィン・カリー物語(前編): “期待薄”と見られ続けてきた未来のMVP

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Stephen Curry Story

「Longshot」——。意味は“期待薄”、“見込みの薄い大穴”。ステフィン・カリーがほぼキャリアを通じてそんな言葉で形容されてきたと聞けば、意外に感じるファンは多いだろう。カリーは2015~16年に2年連続MVPを獲得した現役最高級のスーパースターであり、2016-17シーズンまで5季連続で3ポイントシュート成功数リーグ首位を記録し、“NBA史上最高のシューター”と称されるようにもなった。

しかし、現役時代に名3ポイントシューターとして名を馳せたデル・カリーの息子であるステフィンも、学生時代はNBA入りが約束された選手ではなかった。世界的なビッグネームとなった今でも、「これまでの自身の上昇過程をシュールにすら感じることがある」と語っているほどだ。そんなカリーが1つ1つ壁を破っていったキャリアを振り返ると、努力の大切さ、良き指導者を持つことの意味が改めて伝わってくる。

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ワーデル・ステフィン・カリー二世は、1988年3月14日にオハイオ州アクロンに生まれた。誕生したのはレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)と同じ病院である。その夏に父デルがシャーロット・ホーネッツに移籍したことから、幼少期はノースカロライナ州シャーロットで過ごした。

「僕は負けず嫌いだったから多くのスポーツをプレイした。その中でもバスケットボールには特別ものを感じた。父親がプレイしていたスポーツでもあったから、自然と引き寄せられていったんだ。8年生(日本の中学2年)の頃には、カレッジでプレイするためにできることは何でもやろうと決意した」。

ESPNのドキュメンタリーシリーズ『E-60』で特集された際のインタビューで、バスケットボールを選んだ自身の選択をカリーはそう振り返っている。実際に父が最高級のリーグでプレイしていれば、息子たちがバスケットボールに興味を持つのは当然だった。ステフィンも弟のセスとともに父親のゲームに同行し、ウォームアップの際には父の傍らでシュートを打った。

「帰宅が夜11~12時になってしまうから、学校のある平日はゲームには連れて行ってもらえなかった。だからゲームのある週末が楽しみで仕方なかったんだ」。

Stephen Curry Story
NBA初優勝を成し遂げた直後、弟のセス、父のデルと Photo by NBA Entertainment

1999-2000シーズンには父親がトロント・ラプターズに移籍したため、カリーファミリーはトロントに移住。高校入学の際には再びノースカロライナ州に戻り、シャーロット・クリスチャン高校に入学した。在学中は3度のカンファレンス制覇を経験し、オール・カンファレンス・チームにも選ばれるなど、一見すると順風満帆の高校生活だったように見える。しかし、カリーはここで早くも厳しい時間を経験していた。

高校2年生時は身長5フィート6インチ(約168cm)、体重125パウンド(約57kg)と小柄だったカリーは、あまりにも非力で、腕が上がらず、腰のあたりからシュートを打っていたという。それでも高確率で決まるのだから、やはり才能は非凡というほかない。しかし、父親は「カレッジでプレイしたいなら腕を上げてシュートを打つ必要がある」と判断し、この夏にフォーム改造に取り組むことを指示する。デルが「ステフィンにとっては辛い夏だったと思う」と述べている通り、父親の指導による練習は熾烈を極めたようだ。

「見ていても辛かったよ。毎日長い時間、暗くなるまでシュートを打っていた。腕の力がなくなるまで続け、(ステフィンは)泣きながらシュートしていた。新しいシュートフォームをマスターするまでそれを繰り返したんだ」。

セスはそう振り返るが、まだ遊びたい盛りの10代半ばにこれほどのハードワークを続けるのは容易ではなかったはずだ。このときの練習こそが、後のカリーに栄光をもたらす美しいシューティングフォームの土台になっていることは想像に難くない。

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著者
杉浦大介 Daisuke Sugiura Photo

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。