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コービー・ブライアント、引退発表後の初戦は故郷フィラデルフィアで

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ロサンゼルス・レイカーズのコービー・ブライアントは、今シーズン後の現役引退を発表してから最初の試合を故郷で迎える。レイカーズは12月1日(日本時間2日)、0勝18敗と開幕から白星がないフィラデルフィア・76ersと対戦するのだ。

NBA王者に5回輝いたブライアントは、その20年のキャリアにおいて、故郷フィラデルフィアのファンと複雑な関係にあった。その特別な才能を誰もがリスペクトしているが、彼を愛す者もいれば、憎む者もいる。AP通信が報じた。

76ersに加え、野球のイーグルスやアイスホッケーのフライヤーズも不振とあり、フィラデルフィアのラジオ局にとって11月30日(日本時間12月1日)のホットなトピックは、ブライアントの帰還だった。

フィラデルフィアのスポーツファンというジョン・パッセロさんは、「コービーのプレイを見るのがずっと好きだった。歴代最高の選手の一人だと思う。ただ、彼は76ersでプレイしなかった。だから、そのことは恨んでいるけどね」と、ブライアントへの複雑な思いを語る。

「でも、76ersがまったく勝てなかったから、私はコービーを応援したんだ」。

フィラデルフィア生まれのブライアントは、プロバスケットボール選手だった父ジョーが数年プレイしたイタリアで幼少期を過ごし、家族がアメリカに戻ってからは、フィラデルフィアの街から西に9キロの裕福な郊外にあるローワー・メリオン高校に通った。ブライアントは以前、街の中心で暮らしていなかったことを理由に、フィラデルフィア出身と感じていないと明かしている。地元のファンはこの発言をよく思わなかった。

かつてシーズンチケットホルダーだったルイ・マニッティさんは、「彼は豪華な郊外で育ったリッチで甘やかされた子供だった」と、ブライアントを嫌っている。

「彼は決して俺たちの一員じゃなかった。ハードワークするブルーカラーの男じゃなかった」。

1996年、ブライアントは大学に進まずにNBA入りした。父は76ersで4年プレイしたが、ブライアントはレイカーズファンだと宣言。当然、76ersファンはこの発言もよく思わなかった。

だが、何よりもファンがブライアントに反発したのは、2001年のファイナルでレイカーズと76ersが対戦したときのブライアントの発言だ。第1戦を落としたレイカーズが第2戦で勝利すると、ブライアントはフィラデルフィアで優勝することで「彼らの心を引き裂きたい」と述べた。そしてレイカーズはそのとおりに3連勝し、優勝を果たした。

シーズンチケットホルダーのマイケル・リバースさんは、「俺たちの心を引き裂きたいと言うまでは、コービーのことが好きだった」と、当時の発言に傷ついたと語る。

「彼はあまりにうぬぼれ、ごう慢で、私的な攻撃だった。勝ちたいと言えばいいだけじゃないか」。

ブライアント自身は2012年、フィラデルフィアでの試合前に「謝罪はしない」としつつ、こう述べた。

「でも、街のことを受け入れているし、この街が自分に教えてくれたすべてを愛しているのは確かだ。だから、すごく感謝しているんだよ」。

ローワー・メリオン高の人たちは、もちろんブライアントを称賛している。レイカーズがフィラデルフィアに来るとき、ブライアントが母校を訪れることは少なくない。高校のチームを激励し、体育館でトレーニングをし、50万ドル(約6100万円)も寄付した。

5年前、「コービー・ブライアント体育館」のセレモニーで、ブライアントはこう述べている。

「僕はここの出身だ。ここで育った。大学には行かなかったから、ここが僕の大学だ。僕の思い出はここにある」。

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NBA日本公式サイト『NBA Japan』編集スタッフ