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[丹羽政善コラム第43回]ジョエル・エンビード――遅れてきたルーキー

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故障で2年を棒に振り、今年になってようやくNBAのコートに立ったフィラデルフィア・76ersのジョエル・エンビードが、ドラフト前の期待に違わぬ活躍を見せている。

2014年のドラフト直前に右足舟上骨の骨折が判明。76ersはそれでも指名に踏み切ったが、回復が遅れ、リハビリに2年を要した。その間、復帰そのものを危ぶむ声もあったが、12月18日(日本時間19日)のブルックリン・ネッツ戦では27分の出場で33点をマーク。ルースボールを追って観客席に飛び込むなど、ハッスルプレイで客席を沸かせた。

バスケットを始めて5年にも満たない時間でNBAにたどり着いた逸材が、そのポテンシャルの高さを証明しつつある。


「どうしたらいいんだ!」

カメルーンの首都ヤウンデで生まれ育ったジョエル・エンビードがバスケットを始めたのは15歳のとき。初めて出場した試合でディフェンダーに囲まれたエンビードはボールを高く持ち上げたまま、コーチに向かって声を張り上げた。

すかさず、サイドラインから指示が飛ぶ。

「パスだ! パスをしろ!」

バレーボールやサッカーには子供の頃から親しんできたが、バスケットは素人。背の高さを買われてチームに誘われたものの、ルールを理解しているかどうかさえ、怪しかった。

ただ、そんなバスケットを知らなかった選手が2014年6月、20歳のときにNBAのドラフトで全体の3位指名を受けるのである。獲得した76ersも未完の大器であることは覚悟の上。その上で可能性にかけた。

ところが、最初の2シーズンはせっかくの3位指名を無駄にしたとも囁かれている。

別の意味でもリスクが指摘されており、まずはそれが現実となった。ドラフト直前に右足の舟上骨の骨折が判明しており、1年目はリハビリに専念せざるを得なかった。76ersにとってもそこまでは想定内だったが、さすがに2年目は誤算だったのではないか。

チームは1年目、故障しているエンビードを遠征にも帯同させ、「彼に寂しい思いをさせてはいけない」という配慮を見せた。さらには、同郷のルーク・バー・ア・ムーテをトレードで獲得し、迎え入れる万全の態勢を整えたが、“親の心子知らず”とはよくいったもの――。

その経緯に触れる前にまず、エンビードのNBA入りにそのムーテの存在が影響しているので、その関わりについて辿っておかなければならない。

現在、ロサンゼルス・クリッパーズに所属し、NBA9年目のムーテもまた、エンビードと同じカメルーンのヤウンデ出身だ。2009年、母国でキャンプを行なった際にエンビードのポテンシャルに目を見張り、アメリカ行きを薦めた。さらには自分が卒業し、米高校バスケットの名門モントバード・アカデミー高へ転校するレールを敷いた。


エンビードが全休した2014-15シーズンに76ersは同郷のルーク・バー・ア・ムーテを獲得したが…

モントバード・アカデミー高といえば、ディアンジェロ・ラッセル(ロサンゼルス・レイカーズ)や2016年のドラフトで全体の1位指名を受け、76ersと契約したベン・シモンズの母校でもある。ムーテ自身、カメルーンからアメリカへ渡り、モントバード・アカデミー高からUCLA(カリフォルニア州立大ロサンゼルス校)へ進学した後、2008年のドラフトでミルウォーキー・バックスに指名されてNBA入り。アメリカへ行くこと自体が不安だったエンビードとその家族にとっては道しるべとなった。

ただ、エンビードはモントバード・アカデミーから1年で転校する。本人曰く、「パスも捕れなかった」。

取り損ねたボールがお腹に当たると、チームメイトらはクスクスと笑った。その時点でまだバスケットを始めて1年ほど。全米でも屈指の強豪校に進学したのはいいが、スクリーンやピック&ロールなど、バスケットの基本的なプレイさえ、まだ身に付いていなかった。となると当然、試合でなかなか起用されず、転校は出場機会を求めての決断だったわけだが、これはエンビードにとって正解となった。プレイ機会が増えたことで名門カンザス大学の目に留まり、ムーテもカンザス大ならさらに彼の力を伸ばしてくれると、背中を押した。

実際、大学進学後の1年で急成長したエンビードは、カンザス大のチームメイトだったアンドリュー・ウィギンズ(ミネソタ・ティンバーウルブズ)と並んでドラフトの全体1位指名候補となり、もしもドラフト前に右足の骨折が判明しなければ、1位指名権を持っていたクリーブランド・キャバリアーズは、エンビードを指名するのでは、とも言われるほどだった。

しかし、それなのに、どこでどう、道を誤ってしまったのか――。


2013年のNike Hoop Summitでアメリカ代表チームの一員として、翌年にはカンザス大学のチームメイトとしてアンドリュー・ウィギンズ(右)とプレイ

76ersに入るとまず、右足のリハビリがスタート。やがてチームはエンビードの食べるものまで管理しようとした。食生活の乱れから彼の体重が増えたからだ。チームスタッフは、彼が住んでいたリッツ・カールトンホテルを訪れ、冷蔵庫に健康食品を補充し、食事の指導も行なった。

ただそれは、失敗に終わる。エンビードはそれらを食べず、冷蔵庫のものが減らない。不思議に思ったチームがルームサービスの記録を見ると、カロリーの高い料理ばかりを食べていた。

ある遠征では、リハビリなどを担当するコーチとトラブルになり、フィラデルフィアへ強制送還された。そして2015年夏。彼はまだリハビリ中だったが、サマーリーグが行なわれているラスベガスに顔を見せると、まだ76ersのドクターから許可が下りていないにもかかわらず勝手に練習を始めてしまった。

さらに1年を棒に振ることになる再手術は、そのときの無茶が原因と言われ、結局、エンビードはチームにとって手に負えない存在になっていたようだ。

もっとも、2度目の手術が堪えたのは、エンビード本人も同じである。チームも低迷し、必然、スケープゴート探しが始まる中で、エンビードも体重のことも含めて、自己管理ができないなどと批判され、手厳しいフィラデルフィアのメディアに加え、ファンなどからもSNSで叩かれると、「もう、カメルーンに帰ろう」とまで考えたというから、精神的に追いつめられていたのだろう。

今季の開幕直前、『スポーツイラストレイテッド』には、彼のこんなコメントが載っている。

「すべてから逃げ出したかった。このドラマから、距離を置きたかった」。

しかしながら、現実的には帰るという選択肢などなかったのではないか。


ドラフトから2年のリハビリを経て今季NBAデビュー。出場時間の制限はあるもののその才能の高さを示しつつある

もともと彼の父親は、エンビードのアメリカ行き、いや、バスケットをすることに反対だった。まずは、学業が優先。その後、フランスへ行ってバレーボールの選手になるというのが、彼の描いた息子の将来だった。大学へ行かせるだけの経済的余裕もあった。エンビードの家庭はカメルーンでは中の上。母親の愛車はメルセデス・ベンツ。父親としてはしっかり教育を受けさせたかったのだ。

折れたのは、エンビードのアメリカ行きを説得した人がここまで言い切ったからという。

「お父さん、彼にバスケットをさせれば、学校へ行く必要はなくなる。いつか彼は、学校を買うことができる」。

1試合もプレイしなくも、それなりのお金を手にしたエンビードだったが、反対した父親を納得させられるほどではもちろんなく、また、本人の心の奥底にこんな思いがずっとあった。

「僕がここ(米国)にいるのは、理由があるからだ」。

笑われた高校時代。ドラフトで1巡目指名(全体3位)されたが、回復が遅れ、復帰を疑われた。

“でも、違うんだ――”。

“理由”は才能と置き換えてもいいが、見返すという、ことのほかシンプルな原動力が、エンビードの支えになった。

そして、復帰して2か月。彼は今、ようやくアメリカにいる理由を示しつつある。

文:丹羽政善

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