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[丹羽政善コラム第37回]元ダンク王ビンス・カーターが今もプレイする意味

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最近NBAに興味を持ったファンはかわいそうだ。彼らは、本当のビンス・カーターを知らない。人間離れしたダンクはスピーディかつパワフルで、なにより美しかった。

1998年、NBAはオールスターサタデーのメインイベントだった「スラムダンクコンテスト」を中止した。かつてマイケル・ジョーダンとドミニク・ウィルキンズが雌雄を決した伝統のイベントもマンネリ化し、盛り上がりを欠くようになったのが主な理由と見られた。ところが、ロックアウト(※労使交渉のもつれを原因とするリーグによる選手の締め出し措置)の影響でオールスターゲームが中止された1999年を挟んで迎えた2000年の球宴では「スラムダンクコンテスト」が復活。前年にデビューしたカーターがダンクショーを繰り広げており、コンテスト再開を望む声が止まなかった。そのコンテストでカーターは見事なリバースウィンドミル360などを決めて優勝。後にも先にも、あれほど美しいダンクは記憶にない。

今、全盛時の動きにはほど遠い。昔を知る人ほど今の彼は寂しく映る。ただ、である。もう少し今の彼を知れば、彼が今もプレイする意味が見えてくる。

3月21日のフェニックス・サンズ戦。メンフィス・グリズリーズのカーターがコートに入ったのは、第1クォーター残り2分58秒という場面だった。ちょうど主力が少し休みを必要とする時間。典型的なベンチプレイヤーの出場パターンである。少し寂しく映ったが、これが今の現実。もう、ゴールへ切り込んでいくスピードはない。ディフェンスでは一回り以上若い選手らに振り切られる。年齢による衰えはおそらく本人も否定できない。実際、自覚しているようだ。3月19日付けのボストン・グローブ紙にこんなコメントが載っていた。

「ゲームを理解して、自分のことを把握する必要がある。何ができて、体はどんなことを許してくれるのか」。

具体的に何が変わったかといえば、こんな話をしている。

「もう、夜に出掛けたりしなくなった。休まなきゃいけない。賢くならなきゃいけない。トレーニングルームにいる時間が増えたし、ストレッチも多くなった。それは、若い選手が必要としない、あるいはしなくてもいいようなことだ。でも、僕には必要なんだ」。

体が昔のようには動かない。それを認めた上で、バスケットを理解し、必要な役割に徹することでチームに貢献。身体的な衰えは、これまで以上に体をケアすることでカバーしていく。

こうした向き合い方は、自分の変化を受け入れられず、適応できないまま消えていったスター選手らと一線を画す。例えるならカーターは、150キロを超える速球を若い頃投げていたが、30代を超えてスピードが遅くなったとき、年齢に応じて変化球投手に見事変化を遂げた、といったところか。ポール・ピアース(ロサンゼルス・クリッパーズ)、ケビン・ガーネット(ミネソタ・ティンバーウルブズ)などは好例だが、自分がいかに長くバスケットを続けられるかと考えたとき、カーターは体のケアを怠らず、その中で常に万全の状態で試合に臨もうとしている。

もちろん、とはいえ、衰えた姿を晒すことに首をひねる人がいるのも確かだが、そこにはカーターなりの考え方がある。やはり、ボストン・グローブ紙にこんなコメントが載っていた。

「今、自分が模範となって(若い選手を)率いたいと思っている。それは僕が若いとき、(ベテラン選手に)教えられたことだ。種をまいたらそれがいつか花を咲かせてくれればと思う。今、僕がこうしてプレイしているのは、若い選手に自分の経験を伝え、彼らのモデルとなることだ」。

現役では4番目に年上となった。若いころ、ベテラン選手が教えてくれたことを今の若い選手に伝えていくことを使命と考える。自分が若いとき、常に自分の手にボールがあり、試合を支配していた彼にしてみれば、大きな役割の変化だが、彼の生い立ちを知れば、それがむしろ彼本来の役割なのかもしれないと気づく。

カーターは、教師だった母親に厳しく育てられた。父親とは別居しており、初めて会ったのは7歳のとき。その父親もやはり教師という境遇は幼いカーターにどんな影響を与え、どう受け入れたのか。いずれにしても彼は小さいころから聞き分けのいい、年齢にしては落ち着いた子供だったそうだ。彼に特別な能力がなければ、親と同じように教師になっていたのではという見方もあるが、身体能力が突出していた。

日本でいう中学生になるとすぐ、フットボールチームのクォーターバックとしてチームを全米選手権に導き、やがて始めたバレーボールは高校のときにコーチから、「(卒業したら)プロツアーに参加してはどうか?」とすすめられるほど。しかも、彼の才能はスポーツだけではなく、マルチ。高校のときにはジャズバンドに入りドラムを担当。マーチングバンドではホルンを吹いた。音楽的な能力も高かったのである。

文字通り、特別な才能を生まれ持った子供だったが、そうであってもカーターの両親は、決して特別扱いすることはなく、学校で他の子供を教えるのと同様に、カーターに接したそう。そうやって育てられたことは後で生きる。大学、NBAとスーパースターという特別枠となったが、決しておごることなくバスケットに専念し、道を外れることはなかった。

その彼の全盛時はといえば、それは凄まじかった。彼のアクロバティックなダンクは誰にも真似できず、2005年のオールスターゲームでは自分でバックボードに当てたボールをそのままダンクしている。90年代前半、あるバスケットのビデオゲームが流行った。実はその中でマイケル・ジョーダンの信じられないプレイの一つとして、そういうダンクがあり、実際には到底できないダンクと思われたものの、カーターはいとも簡単に決めてしまう。次元が違った。

ただそんなころ、チャールズ・オークリー、チャールズ・バークリーといったベテランから、選手とはこうあるべき、こうやってトレーニングしろ、と教えられてきた。カーターによれば、「その通りにしたわけではない」。しかし、「聞くことはできる」。耳にしたことを自分なりに咀嚼し、自分に合ったトレーニングや試合前のルーティンを作り上げていった。

そして今、カーターはそれを継承する立場となった。もちろん、若い選手には、例えば体のケアの必要性が分からない。カーターは、「若い選手はそれを必要としない」と話しているが、それが必要になってからでは遅いことを分かって欲しい。しかし、口で言うだけでは聞いてくれない。自分も分からなかった。ならば、自分自身がその手本を見せ、若い選手が何かを感じてくれればと考え、その背中を見せようとしている。後は、花が咲くかどうか。

チームもそういうカーターの姿勢を理解し、若い選手に何かを伝えてくれたら、という狙いで契約をしているのかもしれない。だとしたら、彼を必要とするチームはまだあり、彼の選手寿命はもう少し伸びる。

あの日、サンズに勝ったグリズリーズは41勝30敗とした。マイク・コンリーとマルク・ガソルという主力2人を故障で欠き、トレードデッドラインではジェフ・グリーンとコートニー・リーを放出。彼らはあの2月終わりの時点でシーズンを諦め、来季に向けた動きを加速させたように映ったが、日本時間5日の時点で、ここ最近は6連敗を喫しながら、プレイオフ圏内にいる。

あのメンバーでよく踏ん張っているのは案外、カーターの存在がチーム内で大きいのかもしれない。だとしたら、彼はチームが期待した役割を果たしていると言える。

文:丹羽政善

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[動画]ビンス・カーター ミックステープ

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NBA日本公式サイト『NBA Japan』編集スタッフ