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[丹羽政善コラム第31回]カール=アンソニー・タウンズ&ジャリル・オカフォー――注目の新人ビッグマン

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「お前、落第したのか?」

「いや、違う」

「本当か?」

「本当だ」

ジャリル・オカフォーは9歳のときに母親を亡くし、分かれて暮らしていた父親の元へ引き取られる。学校もオクラホマからシカゴのサウスサイドへ転校したわけだが、そのとき彼の身長はすでに190cm近い。新しいクラスメイトは、「落第したのか?」と疑った。

彼の身長は8年生(日本では中学2年生に相当)で203cmに達すると、古くは伝説的なセンターとして知られるジョージ・マイカン、最近ではクエンティン・リチャードソンら多くのNBA選手を輩出している地元シカゴのデポール大学が、早くも奨学金のオファーをしたそうだ。それはNCAA(全米大学体育協会)から、リクルート違反を指摘されて実現しなかったものの、あの時点でオカフォーは、有名大学から将来の奨学金を約束されるほどの選手だったわけだ。

一方、カール=アンソニー・タウンズは、8歳のとき、ニュージャージー州ピスカタウェイに引っ越したが、ダイニングルームの天井がタウンズには低すぎ、ベッドも大きなものを購入したそう。小学5年生になると、身長が190cmを超え、学校では机と椅子が小さすぎて、大人用のものを用意してもらった。

今年4月3日付けのニューヨーク・タイムズ紙によれば、その頃タウンズは、学校の図書館へ行って、シャキール・オニールやヤオ・ミンの本を借り、自分と同じように子供の頃から背が高かった彼らが、どう過ごしていたかに興味を持ったという。

そこにどんな思いがあったのかは分からないが、タウンズも8年生のときにやはり奨学金のオファーをもらっている。大学ではなく高校だったが、年間の授業料が5万2000ドル(約640万円)というプライベートスクールの名門からだった。

そうして似たような少年時代を過ごした2人だが、性格はまるで違う。

Jahlil Okafor, Photo by NBAE/Getty Images

オカフォーは、熱いタイプ。2013年2月、ニューヨーク・タイムズ紙の取材に対して、本人がこう答えている。

「近所の子供たちは、僕と一緒にバスケットをするのを嫌がった。僕は背が高すぎるし、(遊びなのに)本気になりすぎるから」。

分かりやすく言えば、負けず嫌い。それが誰よりも強かった。

タウンズは逆に気持ちを表に出すタイプではなく、父親はそのことを懸念した。名門のケンタッキー大に入学決まったとき、ジョン・カリパリHCに、「厳しく指導してくれ」と伝えたのだという。実際カリパリもタウンズの優しすぎる一面を見抜き、他の選手よりも強い言葉で叱咤激励したと言われる。

ニューヨーク・タイムズ紙によると、父親はこんな教育方針を持っていたそうだ。

「正しいことと、間違っていることをはっきりと教える必要がある。みんな、『いいぞ、いいぞ』としか指導しないが、そうじゃない」。

アメリカでは、日本と違って短所を矯正するよりも、長所を褒めて伸ばすことに重点が置かれる。それはスポーツでも勉強でも同じだが、タウンズの父親は、「間違っていることは間違っていると指摘すべきだ」という考え方。タウンズはそういう教育環境で育った。

ところで、2人の大学進学を巡っては、周りの大人たちの明暗が分かれている。

中学生のときにデポール大から奨学金をオファーされたオカフォーは、高校に入ってカンザス大、ミシガン州立大、ケンタッキー大、デューク大などから誘いがあったが、最終的にはデューク大を選んでいる。小さな頃から同じ地区で育ち、親友でもあった1歳年上のジャバリ・パーカー(ミルウォーキー・バックス)が、デューク大へ進学したのが大きかったよう。パーカーは1年でNBA入りしてしまったため、チームメイトとなることはなかったが、オカフォーもデューク大のプログラムが自分に合っていると考えた。

そのオカフォーは、高校生で唯一19歳以下の全米代表チームに選ばれ、U19世界選手権に出場している。そのとき、フロリダ大を2006年、2007年のNCAAチャンピオンに導いたビリー・ドノバン(現オクラホマシティ・サンダーHC)がチームを率いていたが、彼はオカフォーのコンディショニングに疑問を持ったのだという。

もしあのときドノバンがオカフォーのポテンシャルに疑問を抱かず、コーチと選手という関係を利用して上手くフロリダ大にリクルートしていたら、フロリダ大は昨年、負け越すことはなかったのかもしれない。

Karl-Anthony Towns, Photo by NBAE/Getty Images

逆に立場を巧みに利用したのが、カリパリHCと言われる。タウンズは16歳のとき、ドミニカ共和国の代表チームに選ばれた。国籍はアメリカだが、母親がドミニカ人だったため、その資格があった。そのとき、ドミニカの代表チームのヘッドコーチを務めていたのがカリパリで、タウンズを狙っていた他校のリクルーターは、してやられたと地団駄を踏んだ。

カリパリが同国のヘッドコーチになったのは2011年なので、タウンズが代表チームのメンバーになる前のことだが、タウンズは、17歳以下の代表チームに入っていた。そのチームのヘッドコーチは、ケンタッキー大でアシスタントを務めていたオーランド・アンティグア(現サウスフロリダ大学HC)の兄弟だったという。ライバル校から見ればタウンズは、合法的にケンタッキー大に囲い込まれていたと映ったはずである。

さて、ドラフトの上位で指名されるような選手は、少なりとも似たような環境で育つのだろうが、タウンズとオカフォーの場合、自分の子供の才能を早くから見抜いた父親が、レールを敷いた。タウンズの父親は高校のバスケットボール部のコーチ。小さな頃からドリブル、パス、ディフェンスの基礎を教えた。オカフォーの父親は、大学でバスケットをしており、やはり基本を教えたが、息子が自分の身長を超えるようになると、より高いレベルで練習できる環境を探した。

そうして育てられた2人は、NBAでどう成長していくのか。

スケールの大きなビッグマンの挑戦が始まる。

文:丹羽政善

 

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