NBA

訃報:名将ジョン・カンドラ、101歳で逝去

Author Photo
Sporting News Logo

1950年代にミネアポリス・レイカーズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)を何度も優勝導いた名将のジョン・カンドラが101歳にして亡くなったことを『AP通信』が伝えた。

フィル・ジャクソン、パット・ライリー、グレッグ・ポポビッチ、ラリー・ブラウン、そしてレッド・アワーバックの前にも、ジョン・カンドラの存在があった。

ミネアポリス・レイカーズを5度優勝に導き、殿堂入りも果たしているカンドラが日曜日(日本時間土曜)に亡くなった。享年101歳だった。

息子のジム・カンドラによると、彼の父は晩年生活をしていたミネアポリスの東北部にある介護施設で息を引き取ったという。

ジョージ・マイカンがセンターを守り、カンドラが落ち着いた手腕で指揮をふるったレイカーズは、NBAの前進となるBAAで1949年に優勝。その後NBAでも1950年と、1952年から1954年まで優勝を重ね、リーグ最初のダイナスティを築いた。レイカーズは1948年にNBLでも優勝を果たしているが、NBLの記録はNBAの記録に含まれていない。

4大スポーツにおいて、カンドラは生存している最高齢の殿堂入りしている人物だった。

カンドラは1995年に殿堂入り。その1年後、「NBA at 50」の一環としてリーグの偉大なコーチ10人のうちのひとりに選出された。

31歳のときにコーチに就任し、42歳で辞任するまで423勝302敗の成績を残し、数々の称賛を自分ではなく全て選手に向けていた。当時のコーチ像というのは激しく指示するものが一般的だったなか、彼は常に冷静で控えめな姿勢をとり、とてもユニークな存在だった。

マイカンは『スポーツ・イラストレイテッド』にこう語ったことがある。「ジョンは怒鳴り散らすタイプではなく、とても温厚な物腰だったが、必要なときは叱ってくれた。だいたい自分が真っ先に怒られていたよ。チームでは誰もが批判される対象にあるというメッセージを打ち出していたんだ」。

カンドラは1916年7月3日にペンシルバニア州のスタージャンクション区で生まれ、家族とともに5歳のときにミネアポリスに移住した。

NBLのデトロイト・ジェムズが1947年にミネアポリスに移転し、レイカーズに名前を変えたチームの指揮をとるためにカンドラを雇った。マイカン、バーン・ミケルセン、ジョン・ポラードを擁するレイカーズは最初のスーパーチームを結成し、ニューヨーク・ニックスを1952年と53年に撃破、シラキューズ・ナショナルズ(現フィラデルフィア・76ers)を54年に倒し3連覇を達成した。今でもリーグで3連覇を達成したことがあるコーチはジャクソン、アワーバック、そしてカンドラの3人のみだ。

カンドラの秘策は何だったのだろうか?

カンドラは昨年NBA.comにこう語っている。「ある試合で、残り1分で同点のときに選手を代えたんだ。その代えた選手が美しいゴールを決めチームに勝利をもたらした。みんなからは『なんて素晴らしい采配だ』と言われた。実は代えられた選手は私のところに来て『トイレに行きたい』って言ったんだよ。そのおかげでまるで私が賢いかのようになった」。

カンドラは1959年に母校のミネソタ大学の指揮をとるために、ロサンゼルスに移転直前だったレイカーズを辞任した。

カンドラはNBA.comにこう話した。

「チームボールをプレイした。スコアを無駄に量産しようとせず、ディフェンスをしっかりとやった。相手チームを辱めようとはしなかった。選手たちはとても良いグループだったよ」

原文: John Kundla, former Minneapolis Lakers coach and Hall of Famer, dies at 101 by NBA.com(抄訳)​


著者
NBA Japan Photo

NBA日本公式サイト『NBA Japan』編集スタッフ