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国際大会を沸かせた3人のインターナショナルプレイヤー

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リオデジャネイロ・オリンピックに出場したトニー・パーカー、マヌ・ジノビリ、パウ・ガソルが、過去15年間でバスケットボール界に与えたグローバルなインパクトは、簡単に量れるものではない。

彼らの活躍により、フランス、アルゼンチン、スペインは国際大会の上位常連となり、国際大会は史上最高の競争レベルへと引き上げられた。

その活躍は国際大会だけでに留まらない。NBAレベルでも顕著で、3選手共にNBA優勝を経験している。2004年のアテネ五輪ではジノビリのアルゼンチン代表が金メダルを獲得し、2008年の北京五輪、2012年のロンドン五輪ではガソルのスペイン代表が銀メダルを獲得。パーカーのフランス代表は、2005年の欧州選手権で50年ぶりにメダルを獲得したほか、2013年の欧州選手権ではフランス史上初の金メダルに輝いた。

輝かしい代表歴を誇る3選手も、そろそろ代表での時間を終わらせようとしている。リオ五輪後、ジノビリとパーカーは代表引退を発表。ガソルは明言こそしていないが、スペイン代表として今後もプレイし続けるかを考えると話している。

「これからどういうプロセスを経て行くか、まだわからない」と、36歳のガソルは言う。

「代表でプレイするのは楽しいし、特別なこと。稀な経験でもある。できるだけ長くプレイしたいけれど、あきれられるような決断はしたくない。僕は理性をわきまえているし、思慮深い人間だと思っている。と同時に、このチームでプレイしたいという気持ちもある。素晴らしい選手、才能のある選手が多いから、出場する全ての大会で優勝するチャンスがある。だから楽しいんだ」。

「でも、僕も年齢を重ねているということでもある。いつかはプレイできなくなるし、そのときは受け入れるつもりさ。辛いだろうけどね。僕は素晴らしいキャリアを送れている。これ以上は望めない。バスケットボール選手としてやってきたことは、全てがプラスであり、ギフトだ。僕のようなキャリアを送れる選手は多くはない。このレベルで長くやれる選手も、多くはない。この流れを楽しみたいから、これからもハードに取り組んで、続けていけるよう努力する」。

ジノビリにとって最後の代表戦は、感傷的な終わり方だった。リオ五輪準々決勝でアメリカ代表に78-105で敗れた直後、汗と共に涙が頬を伝った。
最低でもあと1年はサンアントニオ・スパーズでプレイするジノビリは、いつだってコート上のアーティストだった。彼は、何のプランも持たず、明敏な頭脳と、神から与えられたフィジカルを掛け合わせ、コート上で表現してきた。

彼ら3選手、ダーク・ノビツキーらの活躍もあり、NBAではインターナショナルプレイヤーの存在が当たり前となった。その先駆けとなったパーカーとジノビリは、今後代表としての活動を止め、スパーズでのプレイに集中することを決断した。

「代表でプレイできることに誇りを感じている」と、五輪について語ったパーカーは、代表でのキャリアを、次のように振り返っている。

「国際大会はNBAとは雰囲気が非常に異なる。子供の頃からの夢はNBAで優勝することだった。それが究極の目標だった。でも、成長するに連れて、代表でのプレイが大好きになった。僕が18歳の頃、ジュニアレベルの大会で金メダルを獲得した。それ以来、僕の目標は、欧州選手権でフランスに優勝をもたらすことに変わった。そして、2013年に実現させられた。素晴らしい経験だったよ。異なる国でプレイすると、観客の反応も違う。NBAとは異なるんだ。そういう環境で成長して、楽しむことができた。この16年間は素晴らしい体験だった。ほんの一瞬の後悔もない」。

原文:A farewell (of sorts) for Ginobili, Gasol and Parker by David Aldridge/NBA.com(抄訳)


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NBA日本公式サイト『NBA Japan』編集スタッフ