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ブルズ移籍決断のドウェイン・ウェイドがマイアミに感謝の手紙

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マイアミ・ヒートからフリーエージェントとなったドウェイン・ウェイドは、地元シカゴを本拠地とするシカゴ・ブルズへの移籍を決断した。

NBA 1年目から13年目まで球団の顔としてプレイしたウェイドが、ヒート、球団関係者、マイアミのファンに宛てた感謝の手紙全文をAP通信が伝えた。


マイアミの皆さんへ

今回の決断は、非常に感傷的なもので、辛いものでした。13年というキャリアを経て、僕はシカゴ・ブルズと共に新たな旅路に向かうことを決意しました。決して簡単な決断ではなかったですが、自分と家族にとって、正しい選択と感じています。

2003年、NBAでのキャリアをマイアミ・ヒートでスタートさせました。球団でプレイすることは名誉なことで、NBA優勝3回を果たし、勝者の球団を築き上げられたと思っています。チームと共に成し遂げたすべてのことを、プライドと、喜びと共に振り返ることができます。チームオーナーのアリソン家、球団社長のパット・ライリー、コーチのエリック・スポールストラ、コーチングスタッフ、マイアミ・ヒート全体に、感謝の気持ちを申し上げたい。

これまで応援してくれ、愛してくれたマイアミのコミュニティ、特に #HEATNATION の皆さんには、心の底から御礼を伝えたい。本当に、素晴らしい時を過ごせました。ファンの皆さんから、自分にとってベストな選択を取って欲しい、という前向きなメッセージを頂き、感動し、感謝しています。きっと、ファンの皆さんは僕の決断を支持してくれると思っています。皆さんと共有した優勝パレード、5度のイースタン・カンファレンス優勝の思い出は、新たな章に突入するこれからも、僕の心の中にあり続けます。

イリノイ州ロビンスで生まれ育った幼少期、まさか自分がNBA選手としてのキャリアを送れるようになるなんて、また、シカゴ・ブルズのジャージーを着れるなんて、夢にも思いませんでした。子供のころ、ブルズの試合を見て育ち、感化され、バスケットボールプレイヤーになりたいという夢を追い求めました。自分の中で最も大切な思い出は、父がフェルミの小学校のコートでバスケットボールをプレイし、ブルーアイランドのレクリエーションセンターで僕のプレイを成長させるために時間を取ってくれたことです。自分の地元を忘れたことはありません。そして、バスケットボールを大好きになるきっかけを与えてくれたチームでプレイできることに感謝しています。家族の多くが、今もシカゴに住んでいます。僕の心に非常に近いホームに戻れることに、興奮しています。

自分の原点に立ち返ること、今後の人生で起こることを楽しみにしています。

心からの愛と、リスペクトと共に。

ドウェイン・ウェイド


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NBA日本公式サイト『NBA Japan』編集スタッフ