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弟同然の幼馴染の訃報を悼むデイミアン・リラード「とても辛い」

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幸か不幸か、NBAは近しい友人、家族の死について公の場で触れることが最も多い北米4大メジャースポーツの一つとして知られている。幼少期に過酷で、危険を伴う環境で育ったNBA選手は多く、中にはそうした環境から逃れられたと考えるスター選手も少なくない。ポートランド・トレイルブレイザーズのデイミアン・リラードもその一人で、1月12日(日本時間13日)に弟同然の幼馴染の訃報を聞き、自分が育った環境の厳しさを再認識させられた。『The Oregonian』のジョー・フリーマン記者が、リラードの心境を伝えた。


デイミアン・リラードは、地元オークランドの友人に電話をかけ、最も恐れていた事態が事実であることを確認した。弟同然の幼馴染で、リラードがトラブルの多い環境から離れさせようとしてきたメショーン・ベアードが、45分前にオークランドで何者かに射殺された。

リラードは、「とても残念でならない」と、声を絞り出すように語り、友の死を悼んだ。

「最初に聞いたとき、まず深呼吸した…それで、『なんてことが起こったんだ』と思った。その日だけで少なくとも50人がInstagramにアイツの写真を投稿していたのを見た。アイツの写真を見るたびに辛かった。自分が一緒に育ってきた多くの友人は色々とトラブルを抱えていた。でも、今回のことは辛い。それだけ近い存在だったから」。

弟分の死を悼んだリラードは、1月13日(同14日)にモーダ・センターで行なわれたオーランド・マジック戦に臨むにあたり、シューズに黒のマーカーで“R.I.P. Meshawn(メショーン、安らかに)”と書いた。

リラードはマジック戦前の取材に応じ、「普段はこういうことはしないんだ」と語った。

「でも、今回は幼い頃からの地元の仲間が亡くなったから。彼は本当に良い奴だった。だから残念でならない。何かに巻き込まれてしまったんだ」。

5歳違いのベアードにとって、リラードは兄のような存在だった。昔からリラードの背中をついて回り、近所のフープでプレイする際も、リラードの傍にいるため、ベアードもバスケットボールをプレイした。リラードが高校に進学し、選手として突出した存在になっても、ベアードは同じバスに乗り、試合会場に向かった。

リラードがウェバー州立大学に奨学金を受給して進学すると、ベアードは幼馴染をスラム街から抜け出すための手本として見るようになったという。リラードはオークランドのブルックフィールド98丁目で育ち、ベアードは近い85丁目で育った。リラードにできることなら、自分にもやれるかもしれない。ベアードは、そう思うようになった。

大学で4年を過ごし、NBA選手となって5年目、リラードはベアードのような過酷な環境から離れて9年目になる。木曜にベアードの死を知ってから、リラードは、そのことを深く考え続けていると話した。

「もう9年も経つ。自分の周囲にあった現実がどれだけ酷いもので、どういう事態に直面していたかもしれないということを、人は忘れてしまう。これだけ近い存在の友人の死は辛い。病気や事故で亡くなったわけではなく、殺されたのだから」。

原文:Lillard shaken by fallen friend by NBA.com


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NBA日本公式サイト『NBA Japan』編集スタッフ