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[杉浦大介コラム第60回]モーリス・ンドゥール「日本での日々があったら今がある」

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Maurice Ndour Knicks

カーメロ・アンソニー、クリスタプス・ポルジンギス、デリック・ローズ――多くのビッグネームが揃って注目を集める今季のニューヨーク・ニックスに、1人、日本語が話せる選手がいる。

1992年生まれ、セネガル出身のモーリス・ンドゥールは、高校時代に岡山学芸館高校に留学。同校バスケットボール部のスターとして全国大会にも出場し、2年連続で岡山県の最優秀選手に選出されるなど、輝かしい実績を積み上げた。国内バスケットボール事情に精通するファンなら、名前を覚えている人も多いのではないか。

その後、ニューヨークのモンロー大学、オハイオ大学に進学したンドゥールは、スペインリーグを経て、今季ニックスと契約。開幕ロスターに残り、晴れてNBAプレイヤーとしてニューヨークを拠点に活躍している。

身長6フィート9インチ(206cm)、ウィングスパンは7フィート4インチ(224cm)というサイズに加え、豊富な運動量と機動力も備える24歳は、控えビッグマンとして今季5試合で平均2.8得点、2.0リバウンドという数字を残している。

「日本語、英語のどっちで答えれば良いかな?」

今でも日本の言葉を忘れないンドゥールにインタビューを依頼すると、そんなジョークを返してきた。ルーキー離れした余裕は、豊富な海外生活の経験がゆえか。そして、全部で6つの異なる言語を話すというンドゥールの言葉からは、バスケットボール人生の礎となった日本への熱い想いが透けて見えてくるかのようだった。

(以下、一問一答はすべて英語でのやりとりを日本語訳したもの)


――ここまでNBAライフを楽しんでいる?

ああ、素晴らしいよ。まだ様々なことを学んでいる最中だけどね。NBAは世界最高のリーグだから、学ばなければいけないこと、向上しなければならない部分は山ほどある。そのプロセスを大事にしなければいけないと常に考えている。

――ニックスに何を供給したいと感じている?

攻守両面でチームにエナジーをもたらしたいと思ってプレイしている。特にディフェンス面では決して足を止めず、精力的に動いていきたい。数字に残らない貢献を重視していきたい。将来的にはディフェンス面で成長し、マッチアップする選手を完封できるようなディフェンダーになっていきたい。そのために、今はとにかくハードにプレイすること。すべてのポゼッションで決して気を抜かない心構えだ。

――アンソニー、ポルジンギス、ローズといったスキルに秀でた選手が多いチームの中で、ジェフ・ホーナセック・ヘッドコーチは運動量を期待して君を起用しているように感じられる。

そう、それこそが僕がやるべきことなんだ。コートに立って、エナジーを供給し、カオスを作り出す。チームに望まれていることはわかっているよ。

――日本時代のことを話して欲しい。今、振り返ってみて、日本で学んだことで最も重要なことは?

ハードワークの大切さだ。僕はこれまでにいろんな国の人々と接してきたけれど、日本人こそが世界で最も一生懸命に物事に取り組む人々だ。日本ではバスケットボールの練習量も凄くて、最初は同じようにはできなかった。自分のそれまでの習慣とは大きく違っていたからね。ただ、その環境に慣れるとともに、ハードワークの意味がわかっていった。日本人はとにかく厳しい練習を厭わないし、周囲を常に尊重する。そんな彼らを僕は心からリスペクトしている。新しい環境でリスペクトを得るために、まずはその場所でのやり方を僕自身がリスペクトしなければいけない。それを学べたことは僕にとって大きな意味があった。

――当時の練習量は今でも助けになっている?

それは間違いないよ。平日4時間、週末は8時間にわたって練習した。その当時の経験のおかげで、カレッジ、プロと進んでも、トレーニングのためにアリーナに行くことをつらいとは思わなかった。すでにすべてやってきたから、つらいことなんかない。今の僕がコートを休むことなく走り回り、機動力を発揮できるのは、日本での2年半で長時間にわたって走り込んだ日々があったからだ。

――YouTubeで「外国人による日本語弁論大会」で君がスピーチしている姿を見たことがある。ジョークも交えながら流暢に喋っている姿を見て驚かされた。滞在2年半であれほど話せるのは凄いと思う。日本語はどうやって勉強したの?

最初の6か月間、月曜から金曜日まで、8時から夕方4時まで日本語ばかりを学び続けたんだ。流暢に喋れるようになるのにはあの期間が助けになったと思う。日本では1つの言葉しか話されていないんだから、その言語を喋る以外に選択の余地はない。そういう環境に身を置くこと自体が何よりの勉強だった。弁論大会に関しては、やり遂げた自分を誇りに思えた。あの大会には僕より日本滞在歴の長い大学生も参加していたから、その中で優勝できたのは最高だった。

――映像を見る限り、君は萎縮しているようにはまったく見えなかった。僕も外国で暮らしている人間だけど、語学のレベル以上に、あれほど堂々と母国語ではない言葉でスピーチできることが何よりも凄いと感じた。

うん、僕はビビったりは全然しなかったよ(笑)。しっかり準備したし、先生たちも丁寧に助けてくれた。だからそれほど難しいことではなかったんだ。

――君は語学に関してはセンスが良いんだろうけど、加えてその度胸があるからいろいろと成功できたんだろうな。全部でいくつの言葉を喋れるの?

6か国語だね。英語、日本語、フランス語、セネガル内の2つの言葉に、あとはスペイン語も少し喋れるんだ。

――アメリカに渡って日本語を話す機会は減っただろうね。

そう、だから日本語を忘れないように、なるべく話すようにしている。何人かの元チームメイトとテキストメッセージを交換したり、あとはインスタグラムとか。たいていは電話、テキストで近況報告しているよ。そんなしょっちゅうというわけにはいかないけど、月2回くらいは日本の友人と連絡をとっている。言語というのは話さないとすぐに忘れてしまうものだからね。

――君の言葉を聴いていると、日本への想い入れが伝わってくる。今の君は世界最高のリーグでプレイしているわけだけど、いつかまた日本でプレイしたいという気持ちは?日本でもBリーグという新リーグがスタートしたことだし。

将来に何が起こるかはわからない。バスケットボールを巡る旅がどこに続いていくかは誰にもわからない。このスポーツのおかげで僕は日本まで行くことができたんだ。いつか日本でプロ選手としてプレイすることもあり得るかもね。

――バスケットボールプレイヤーとしての目標は?

引退するときに、自分にできることはすべてやったと思えるように日々を過ごしたい。どのチームに所属することになっても、可能な限りの数の優勝を経験したい。そして、その過程で、このスポーツを心から楽しんでプレイしていきたいね。

文:杉浦大介  Twitter: @daisukesugiura

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著者
杉浦大介 Daisuke Sugiura Photo

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。