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[杉浦大介コラム第49回]新たな方向へ舵を切ったブルックリン・ネッツ

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ニューヨークをネッツの街にする――。

ビリオネアのロシア人オーナー、ミハイル・プロホロフが高らかにそう宣言し、ネッツがブルックリンで華々しく再スタートを切ったのが遠い昔のことのように思える。

実際には移転からまだ4年目でしかない。しかし、今季は現時点で11勝32敗と泥沼状態とあれば、かつての公約を信じるのは難しくなった。オープン当初は連日満員だったバークレイズ・センターの観客動員も激減し、今季は平均1万4940人でリーグ28位(昨季は平均1万7037人)。様々な意味で、2015-16シーズンはネッツにとってブルックリン移転以来最悪の年となってしまっている。

業を煮やしたプロホロフは、1月10日にライオネル・ホリンズ・ヘッドコーチ、ビリー・キング・ジェネラルマネージャーを更迭。珍しいHC、GMの同時解雇という大ナタを振るい、迷走するフランチャイズは新たな方向に進むことになった。

「迅速に勝ちにいくことをオーナーから義務付けられたキングに同情せずにはいられない。そんな方法でのチーム作りは簡単ではないからだ。しかし、無限の予算を与えられ、多くのドラフト1巡目指名権を犠牲にしたにもかかわらず、キングが優勝争い可能なロスターを作れなかったのも事実ではある」。

ESPNのブラッドフォード・ドゥーリトル記者が指摘する通り、2010年7月にキングがGMに就任以来、ネッツは多くのビッグネームを入団させてきた。

デロン・ウィリアムズ、ジョー・ジョンソン、ジェラルド・ウォーレス、ポール・ピアース、ケビン・ガーネット、ジェイソン・テリー、アンドレイ・キリレンコ……etc。それにもかかわらず、プレイオフでの勝利は2014年のファーストラウンドでトロント・ラプターズを下した1シリーズのみ。スター重視のチーム作りは失敗に終わってきたと結論付けざるを得ない。そんな状況下では、誰かがチームを去らなければいけなかったのだろう。

中でもネッツの運命を決定付けたのは、一般的に“チーム史上最悪のトレード”とみなされている2013年6月の大移籍劇である。

2014、2016、2018年のドラフト1位指名権、2017年1巡目指名権を譲渡する権利と引き換えに、ネッツはボストン・セルティックスからピアース、ガーネット、テリーを獲得した。すでにチームに属していたウィリアムズ、ジョンソン、ブルック・ロペス、FAで獲得したキリレンコと合わせ、ここに“ビッグ7”が誕生したのだった。特にピアースとKGを地区ライバルのセルティックスから強奪したインパクトは大きく、この時点でネッツはリーグ有数の注目チームとなった。

「これまでの私たちは大胆に優勝を追い求めてきた。そして、少しの運があれば結果は違ったものになっていたとも信じている」。

ホリンズHC、キングGMを解雇した直後の会見で、プロホロフはそう語っていた。ここで言及した“大胆な動き”とは、具体的にはこの2013年のトレードを指していたに違いない。

一躍パワーハウスとなった2013-14シーズンのネッツは、44勝38敗の成績でイースタン・カンファレンス5位ながら、ジェイソン・キッドHC指揮下で徐々に調子を上げていった。4年連続ファイナル進出を目指すマイアミ・ヒートにレギュラーシーズン中は4連勝を飾ったこともあり、プレイオフではダークホース的な存在とみなされた。ベテラン揃いのチームが、大舞台で真価を誇示すると考えたファンも多かったはずだ。

しかし――。

肝心のポストシーズンでは、イースタン・カンファレンス・セミファイナルでヒートに1勝4敗で敗退。あっけない幕切れで覇権への夢は潰え、ブルックリンは消沈する。優勝争いを義務付けられた“マスト・ウィン・シーズン”での惨敗は、紛れもなくフランチャイズの分岐点となった。


プロホロフ・オーナー(中央)はブルックリン移転決定後、「5年以内に優勝する」と豪語したことでも知られ、積極的な補強を進めてきたが…… Photo by NBAE/Getty Images

新天地に限界を感じたか、そのオフにピアースはワシントン・ウィザーズへの移籍を決断。KGは神通力を消失し、ウィリアムズも故障と不振に陥ることになった。新生フランチャイズは勢いを失い、以降のネッツは完全に下降線を辿ることになったのである。

すべての後で、このトレードを“史上最悪”と呼ぶのは結果論だし、少々辛辣に過ぎると思うかもしれない。才能はあっても優勝経験がなかったウィリアムズ、ジョンソン、ロペスの周囲に、セルティックス時代にレブロン・ジェームズを苦しめたピアース、ガーネット、守備の切り札としてキリレンコを配置したのは理に適う動きに思えた。トレード成立直後、地元の論調もその通りだった。何より、ニックスという人気チームに支配されたニューヨークで存在感を確立するために、ネッツは何か思い切ったことをする必要があった。

2013-14シーズンだけで実に9057万ドルのラグジュアリータックス(サラリーキャップの一定基準額を超えた際に課せられる贅沢税)を費やし、ネッツは真剣に優勝を狙った。現実的にNBAファイナルに進む可能性のあるチームがごくわずかに絞られることの多いNBAにおいて、ネッツが本気で頂点を目指したことは評価されてしかるべきである。

ただ、最終的には結果がすべての米スポーツ界で、ネッツは周囲を納得させるだけの戦果を残すことはできなかった。だとすれば批判されるのは仕方なく、特にニューヨークとはそういう街である。

そして、今振り返ってみれば、ネッツのチーム作りはやはりあまりにも短絡的であり、時代に逆行していた感は否めない。

ピアース、KGを獲得するトレードであまりにも多くのドラフト指名権を犠牲にしすぎたし、「長期的展望に欠けていた」という指摘はもっともだろう。セルティックスが半ば見切りをつけた2人のベテランに切り札役を託したのは、判断ミスと言われても仕方ない。リーグ全体がスピーディなスモールボールに向かう中で、ベテラン揃いのスローなチームは時代遅れにも映った。

結果的に、プロホロフが打った“1億ドルのギャンブル”は完全な失敗に終わってしまう。繊細なウィリアムズは大都会では力を出しきれず、ウィリアムズ、ジョンソン、ロペスという少々地味な“ビッグ3”の間にはケミストリーは生まれなかった。キャリア晩年を迎えたピアース、KGも、ブルックリンという新たなマーケットを活性化させるには至らなかった。そんな姿を見て、一時はシックなチームカラーのネッツに期待を寄せたファンも急速に離れていった。

現時点で、ネッツの行く手には荒れ果てた広野が広がっている。キングの5年半の任期の間に実に7つのドラフト1巡目位指名権を放出(+ドラフト1巡目指名後に放出した選手が4人)したネッツは、今季にセルティックスがプレイオフ進出した場合、ロッタリーでのドラフト1巡目指名権を2019年まで持たないことになる。

ブルックリン移転以降だけで4人のヘッドコーチ(エイブリー・ジョンソン、P.J.・カーリシモ、ジェイソン・キッド、ホリンズ)を解雇した後で、新たにビッグネームを招聘することは簡単ではない。ジョー・ジョンソンとの契約が満了する来オフには約4000万ドルのキャップスペースができるが、ケビン・デュラントのような大物フリーエージェントを惹きつけるのは極めて難しいはずだ。

だとすれば、いったいどうやって再建を進めていけば良いのか? 再び上位進出を狙えるようになるまで、どれだけの年月が必要なのだろう?

「オーナーはもうやる気をなくしていると思うよ。大金を投じれば比較的簡単に優勝を狙えると思ったんだろう。しかし、安易にビッグネームを集めるプランは失敗し、早めに手を引きたいと考えているんじゃないかな」。

SLAM誌のアダム・フィグマン記者は昨年時点でそう指摘していたが、実際にロシア人オーナーが球団の身売りを考えているという噂は根強く囁かれる。

ここまでのプロホロフ・オーナーのやり方には、“Impatient”(我慢のない)という表現がぴったりだった。だとすれば、ここで早々と身を引いても驚くべきではないのかもしれない。いずれにしても、未来を犠牲にして大ベテランに現在を託した2013年の移籍劇は、“Impatient”なチーム作りのシンボルであり、プロホロフ指揮下のネッツを象徴するトレードとして語られ続けるのだろう。

あのトレードの失敗は、プロホロフが考えるような“不運”ゆえにもたらされた結果ではなかった。先を急ぎすぎたがゆえの、必然の結末。その真実を無視し続けたがために、現在のネッツは、ブルックリン移転以来最悪の惨状を余儀なくされているように思えてならないのである。

文:杉浦大介  Twitter: @daisukesugiura

著者
杉浦大介 Daisuke Sugiura Photo

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。