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[丹羽政善コラム第22回] ドワイト・ハワード ――移籍2年目、問われる真価

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順調だったハワードのキャリアに差した影


もう、何年も前のことだ。試合後、ドワイト・ハワードを取材するため、彼が着替え終わるのを待っていると、彼はスーツのパンツに足を通す前に靴を履き始めた。いやいや、それじゃあ、パンツが……と心の中で突っ込んでいると、彼は何事もなかったかのように、すっ~と、パンツを履いている。パンツが太いために、靴を履いたままでも問題はなかったのだ。そのあと、ハワードと目が合った。すると、こちらの考えを見透かしてのことか、「ほら、大丈夫だろ」とでも言いたげに、ニヤリと笑った。

あれはまだ、オーランド・マジック時代のことである。この頃の彼は、茶目っ気たっぷりで、陽気だった。少なくともその後、トレードを要求したり、ボールが回ってこないと、不満を言うようになる選手には見えなかった――。

それまでのキャリアが順調すぎたか。

ジョージア州のアトランタで生まれたハワード。父親はサウスウェスト・アトランタ・クリスチャン・アカデミー高校でアスレティック・ディレクターを務め、バスケットボール部の顧問でもあった。母親も大学時代はバスケット選手だったそう。父親がヘッドコーチを務める高校へ進学したハワードは、4年間で1試合平均16.6点、13.4リバウンド、6.3ブロックという数字を残し、卒業の年には全米で最も優れた高校生に送られるネイスミス賞を受賞すると、2004年のドラフトではマジックから全体の1位で指名されている。

その年のドラフトでは、コネティカット大のエメカ・オカフォーが1位指名候補とも言われたが、マジックは将来性を選んだ。その選択は正しかったといえよう。チームはハワードをドラフトする前シーズン、21勝しかあげられず、リーグ最下位だったものの、ハワードの加入で徐々にチームも成長すると、5年目(2008-09シーズン)で早くもNBAファイナルに進出している。

その頃までにハワードは、NBAでも屈指の選手に成長し、サイズがありながら、クイックネスにも恵まれ、さらに圧倒的な選手へと進化していった。2007-08シーズンからは、3年連続でリバウンドのタイトルを獲得。2008-09シーズンからは2年連続でブロックショット1位。2008-09シーズンには、史上最年少(23歳)で最優秀守備選手賞を獲得している。

マジックでのいざこざからレイカーズ、そしてロケッツへ


さて、そこまでを考えれば、ハワードには不満などなかったはずだが、2009年頃から、スタン・バン・ガンディHCの采配に異を唱えたり、チームの補強に不満を漏らすようになった。ハワードとマジックにとってはファイナル進出がピークだったのだ。不満が極まったのが、2011−12シーズン前のこと。シーズン後に選手オプションを破棄して、FA(フリーエージェント)となる権利を持っていたハワードは、ニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)、ロサンゼルス・レイカーズ、ダラス・マーベリックスなどヘのトレードを要求した。

このときハワードは言っている。

「もしも、一緒に働いている人と良い関係を築けなかったら、我々は良くなると思うかい? 補強に関してチームにお願いしたことは、必要だと思ったからだ。でも、何もやってくれない。なぜだか分からない……」。

こんな選手が必要だとアイディアを出した。それがまったく聞き入れてもらえない。不満を隠せなくなっていた。そのときは一旦、話し合いで矛を収めたものの、移籍の噂は絶えず、彼はそれにうんざりしてか、シーズン後にFAになる権利を破棄し、翌シーズンもマジックでプレーすることを決断。いや、それでも相変わらずトレードの噂は消えず、それとは対照的に彼は、表情を消していった。

結局、シーズンが終わってから、ハワードはレイカーズへトレードされている。移籍先は、一番望んでいたと言われていたネッツではなかったが、彼は会見で、「ようやくすっきりした。まるで夢のようだ」と満面の笑みを浮かべていた。

ただ残念ながら、それですべてに決着が付いたわけではなかった。むしろ、彼の境遇は、混迷が極まった。その年の4月にヘルニアの手術をしていたハワードは、体調が万全でないままシーズンに入ったが、マジック時代のプレーが鳴りを潜め、結果として批判を受けることもあり、顔を曇らせていったのだ。テレビ解説者のジェフ・バン・ガンディは手厳しかった。ハワードが1月のある試合で、自分が5回しかシュートを打っていないことに不満を漏らすと、ラジオ番組でこう言った。

「メディアにそんな不満を漏らすなって、なんて子供じみたことを。残念だよ」。

さらに言っている。

「彼のああいった態度が、彼自身のプレー、また、レイカーズに悪い影響を与えている。彼は、自分に与えられた役割が気に入らないんだ。それが明らかに表に出ている」。


ロケッツ移籍2年目の今季は、真価が問われる年


その頃、コービー・ブライアントが支配するオフェンスシステムにハワードが馴染まないことが分かってきた。ブライアントは、自身の引退後はハワードのチームだと言い続けてきたが、ハワードはそれを素直に受け入れていなかった。いつしか不満が募り、シーズンが終ると、FAとなったハワードはレイカーズを離れる決断を下している。

ところが、移籍してなお、レイカーズでチームメイトだったスティーブ・ナッシュから批判されたり、逆にハワードがブライアントを批判した、という報道があったりと、余波は続き、いまだに彼のイメージの中に、ネガティブなものがくすぶっている。

今のハワードに求められているのは、その払拭だろう。

そのための簡単な方法がある。チームをせめてファイナルへ導けるかどうか。ロケッツ1年目の昨季は、チームをプレーオフに導いたものの、1回戦でポートランド・トレイルブレイザーズに敗れた。同じ結果では、ファンも納得しまい。ただ、そんな大事なシーズン直前、信号無視を繰り返したとして、ハワードは免許停止処分を受けた。

ハワードには今、どんな覚悟があるのか。彼の真価が問われる2年目が、まもなく始まる。

文:丹羽政善


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