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[西塚克之イラストコラム第11回] NBAと日本アイドルのパラレルワールド その11

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1990年中盤からNBAを引っ張った3名といえば、シャキール・オニール、アンファニー“ペニー”ハーダウェイ、アレン・アイバーソンです。人気、実力、そして市場への影響力は群を抜いていました。

まずは、シャキール・オニール。通称シャック!

あれほどのインパクトをもったセンターはもう現れないかもしれません。“シャックの前にシャック無く、シャックの後にシャック無し”です。

1992年LSU(ルイジアナ州立大)からオーランド・マジックにドラフトNo.1ピックされたシャックの伝説は、枚挙にいとまがありません。

ルーキーシーズンの初めからReebokと契約。シグネチャーシューズが用意されました。しかも、アイコンである“シャック・アタック”のトレードマークはシャック本人が権利を所有し、シューズだけでなくアパレルラインにも活用され、ビジネスセンスにも非凡さを発揮するのです。

俳優、歌手、ダンサーとエンターテインメントにも活躍の場を広げ、人気を不動のものにしていきます。もちろん、本業のバスケットボールでも結果を残していきます。強力なダンクで何度かゴールを壊しました。そして、壊した分というわけではないでしょうが、多くのタイトルも獲得しています。4個のNBAチャンピオンリング、15回のオールスター出場、1996年アトランタ・オリンピック金メダルなどなど、チャンピオンリングが欲しいベテランプレーヤーたちはこぞってシャックの元に行きたがったのも有名な話です。

続いては、アンフィニー・ペニー・ハーダウェイです。

1993年ドラフト1巡目3位でゴールデンステイト・ウォリアーズから指名され、直後にオーランドが全体1位指名したクリス・ウェバーとトレードされたため、当初こそオーランドのファンから冷たい仕打ちを受けますが、身長2mの大型ガードは甘いマスクと才能あふれるプレースタイルからマジック・ジョンソンの再来と期待され、人気も実力もあっという間にリーグを代表するトッププレーヤーとなりました。

幼い頃は、おばあちゃん子で「可愛い」という意味の“pretty“の訛りが「ペニー」と聞こえたために愛称として使われるようになったそうです。

学生時代には学業不振でプレーさせてもらえなかったり、強盗に足を拳銃で打たれ、弾丸が残ったままプレーしたりと武勇伝も数限りなくあります。プレーヤーとしても華があり、一時はマイケル・ジョーダンをもしのぐほどのモテモテぶりでした。

1994-95シーズンにNBAファイナルにシャックとともに進出。1996年アトランタ・オリンピックで金メダルを獲得。生涯の相棒となる“リル・ペニー”がNIKEの広告キャンペーンで誕生すると、キャリアのピークを迎えることになります。

1996-97シーズンのオープニングゲームのために日本を訪れますが、その年に膝を故障。それ以降、怪我以前のパフォーマンスを取り戻すことができず2007-08シーズンをもってコートから離れることになります。今でも当時を知るファンから絶大な人気を誇り、NIKEでもシューズやアパレルラインが復活しているほどです。

そして、この時代に最も世の中に愛された男といえばこの人。アレン・アイバーソンでしょう。

学生時代に福岡で行なわれたユニバーシアードにアメリカ代表として来日。決勝戦で日本代表と戦って金メダルを獲得しており、首には“忠”のタトゥーがあったりと日本にもなじみ深い男です。

183cmの小さな暴れん坊は、1996年ドラフトNo.1ピックでフィラデルフィア・76ersに入団しながらも、その性格や身長から、当初は実力を疑問視されていました。アイバーソンはNIKEと契約したがっていましたが、オファーはなくReebokと契約します。アイバーソンとReebokは、世間の風評を逆手にとり彼のシグネチャーモデルを“クエスチョン”と、命名したことはあまりにも有名な話です。

ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、2足目のシグネチャーは“アンサー”という名に変わり、彼の存在意義を証明するに至りました。その後はシーズンMVP1回、得点王4回、オールスターMVP2回など、その実力を遺憾なく発揮していきます。

多彩なドリブル&フェイク。必殺の“ダブル・クロスオーバー”などNBA屈指の“アンクルブレーカー”として君臨し、ヘリコプターショット(いわゆるjフローターショット)やダンクを軽々と決め、さらにシュートレンジも広く、高速のジャンパーは誰も止めることができませんでした。

ものすごい運動能力とかわいらしいルックス、さらに自由気ままな性格で注目の的となったばかりでなく、その非凡なセンスでキッズのファッションにも多大な影響を与えました。ヘッドバンド、シューティングスリーブ、リストバンド、フィンガーサポーター、W.W.J.Dシリコンバンド、コーンロウ、などなど。コート内でもいち早く新アイテムを披露し、コートの外ではギャングスタイルの中心的な存在だったといっても過言ではないでしょう。

賛否両論あった選手生活でしたが、昨季フィラデルフィアで行なわれた引退と永久欠番のセレモニーに涙した人は多いのではないでしょうか。

では、この3人と、同じように世の中に衝撃を与えたアイドルたちは誰なのか?

「こんなのありなの?」と、いう方法で人気を獲得した、まさに規格外の3人娘がおりました。

原作は少女コミック。ヨーヨーを持って啖呵を切り、ブラウン管の中で悪者たちをばったばったとなぎ倒していくセーラー服の少女たち。そうです「スケバン刑事」こと麻宮サキを演じたこの3人、斉◯由貴、南野◯子、浅◯唯です。

今でこそ、それぞれ独自の道を歩いていますが、アイドル時代は「スケバン刑事」のイメージが定着し、彼女たちの個性の一部として認識されていましたから、強くて、奇麗で、一本芯が通ったカッコイイ女子高生のポジションを獲得していたといえます。

斉◯由貴は、初代麻宮サキですから、スケバン刑事のパイオニアです。強引ですがちょっとぽっちゃりしたところは、3人の中では、シャックに似ていなくもないでしょう。

1984年、第1回東宝「シンデレラ」オーディション準グランプリ。第3回ミスマガジングランプリで芸能界入りすると、すぐにCM出演。1985年2月に「卒業」で歌手デビュー。いきなり約30万枚のヒットを飛ばし、「スケバン刑事」で連続ドラマ初主演。その後も、朝の連ドラや紅白出場とデビュー前から期待の大型ルーキーは、デビュー後も周囲の期待を裏切ることなくトップアイドルとしてキャリアを積んでいきました。

2人目は、南野◯子。二代目麻宮サキの登場は衝撃的でした。なぜなら、牢屋に鉄仮面を被せられたセーラー服の女の子が出て来たからです。いくらアホな男でも引きますよ。しかし、その鉄仮面が割れた瞬間、全国の男たちは胸をわしづかみされたのです。今風にいえば“ギャップ萌え”ですね。

あまりに可憐で整った顔立ち。そして、何ともぎこちない土佐弁「おまんら、ゆるさんぜよ!」の決め台詞に、ブラウン管の前で悶絶した男たちは数えきれません。

このドラマで一気にトップアイドルに駆け上がると“ナンノ”というニックネームで親しまれます。

シャックのいるオーランドで注目され“ペニー”というニックネームで親しまれたイケメンガードとかぶって見えてくるから不思議です。

3人目は、浅◯唯。キュートなルックスと思い切りの良い演技だけでもアイバーソンとかぶります。そして、なによりも風間3姉妹の三女にして三代目麻宮サキ役がはまり役となり大ブレイク。トップアイドルとなった、1987年から1989年までは歌手として第一線を走り、1989年4月公開の人気コミック原作映画「YAWARA!」に主演した際には、原作の“YAWARAちゃん”にそっくりと大絶賛。1990年、ロックをやりたいと「脱アイドル宣言」。1993年、忙しすぎるから休みたいと「突然の休業宣言」。1994年、本名で写真集出版(ちなみに完売したそう)。1997年にバンド活動で復帰。2002年に結婚と、我が道を行く感じも、アイバーソンの人生そっくりです。

バスケとHIPHOPカルチャーの真ん中を支え走り続けた、シャック、ペニー、AIと“スケバン刑事”というフレームから飛び出し一時代を築いた、斉藤、南野、浅香。私にはこの6人がそれぞれ同じニオイで結ばれている気がしてなりません。

長くなりましたが、いよいよ次が最終回です。では、次回をお楽しみに!!

文&イラスト:西塚“Duka”克之 Twitter: @24duka


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