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[コラム]29年の歴史に幕を閉じた“ザ・パレス”の10大モーメント(青木崇)- 2

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【1】3度目の正直でザ・パレスを埋めたファンとNBAタイトル獲得の喜びを分かち合う(2004年6月15日)

バッドボーイズが1989年と1990年に2連覇を達成したとき、その舞台はいずれも敵地のアリーナだった。2004年のNBAファイナルでは、殿堂入り確実と言われたスーパースター4人を揃えたロサンゼルス・レイカーズが、絶対的に有利という予想が大半を占め、ピストンズがホームで優勝するには、4連勝か4勝1敗以外にありえない状況だった。

リチャード・ハミルトンが「頭の中では我々全員がスーパースターだった」と振り返る当時のピストンズは、敵地でのゲーム1を快勝。ゲーム2こそ延長で落としたが、ゲーム3からホームで3連勝し、ピストンズは3度目の頂点に立ったのである。特にゲーム5は第3クォーター終盤でリードを20点に広げると、第4Qが優勝を前祝いするようなパーティー状態になった。2万2000人を超える観客の前でのタイトル獲得は、ザ・パレスの歴史で最も輝かしい瞬間だった。

Pistons Richard Hamilton Ben Wallace
2004年ファイナルを制したリチャード・ハミルトンとベン・ウォーレス

【2】NBA史上最悪の乱闘事件(2004年11月19日)

2004年のタイトル獲得が最高の瞬間ならば、5か月後の出来事はザ・パレスだけでなく、NBAにとっても史上最悪といえるものだった。

プレイオフで激戦を繰り広げたインディアナ・ペイサーズ相手に、ピストンズは第4Q残り1分を切って敗戦が濃厚だった。残り45.9秒、レイアップを試みたベン・ウォーレスにロン・アーテスト(現メッタ・ワールドピース)がファウル。これに激怒したウォーレスがアーテストの胸を押すと、乱闘騒ぎとなった。

制止しようとした両チームの選手たちやセキュリティが間に入ったことで、騒ぎは収拾すると思われた。ところが、観客が投げたビール入りのカップがアーテストの腹部にヒット。激怒したアーテストがスタンドに入り込んで犯人に殴りかかろうとした後は、イスを投げる輩や多くの観客がペイサーズの選手にビールをかけるといった暴動へと発展する。試合は再開されることなく終了となり、NBA史上最悪の事件として語り継がれることとなった。

【3】ピストンズ2連覇への道筋を作ったゲーム1の逆転劇(1990年6月5日)

ブレイザーズとのNBAファイナル・ゲーム1、ピストンズは一度もリードを奪えないまま第4Qに突入。残り7分で80対90とリードを2桁に広げられた後、大黒柱の司令塔アイザイア・トーマスが試合を支配する。カットインからのフィニッシュをきっかけに、3分35秒に同点3ポイントショット、2分24秒に逆転となるジャンパー、1分49秒にリードを5点に広げる3Pを立て続けに成功。33点中15点を10点リードされた後からの時間帯で奪ったトーマスが試合を支配したことが決め手となり、ピストンズは105対99で逆転勝利を手にした。

ゲーム2を延長で落としたこと考えると、この勝利はバッドボーイズが2連覇を手にするうえで大きな意味があった。

Pistons 1990 NBA Finals

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【4】バッドボーイズの終焉(1991年5月27日)

ブルズとのカンファレンス・ファイナルで4連敗を喫したピストンズは、3連覇を逃すと同時に、バッドボーイズの終焉を迎える。トーマスを中心にゲーム4が終了する前にブルズの選手を祝福することなくコートを去ったのは、スポーツマンシップに欠ける行為と全米中から激しい批判を浴びた。

しかし、1988年のカンファレンス・ファイナルでボストン・セルティックスがピストンズとのシリーズで敗退した際、ラリー・バードらが試合終了前にロッカールームへと下がっていっても批判はなかった。そのことからも、バッドボーイズが嫌われ者の象徴であったと同時に、憎まれるほど強いチームだったのは間違いない。

【5】3ポイント新記録樹立(1994年11月8日)

ジョー・デュマーズが当時のNBA新記録となる1試合10本の3Pを成功させた。

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文:青木崇 Twitter: @gobluetree629

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